ログイン 新規登録
最終更新日: 2024-12-17 08:13:42
Untitled Document
ホーム > 自由統一 > 自由主義保守派の声
2009年02月07日 00:28
文字サイズ 記事をメールする 印刷 ニューススクラップ
 
 
一部の司祭たちや一部の僧侶たちの場合
柳根一(元朝鮮日報主筆)
私は天主教の洗礼を受けた天主教信者だ。もちろん今ごろは「冷淡者」に分類されているはずのろくでもない信者ではあるが。そして天主教の教籍を持っていながらも、仏様の教えに対して無限の愛慕の念を抱いている、それで仏教を尊敬しながらも、その道伴(一緒に修道する友)に参加する資格はない、あれこれ肩の足しにも裾の足しにもならむ存在だ。
 
だが、一部の神父たちや一部の僧侶たちの言葉と行動を見ると、私は私が熱烈な天主教信者でも、資格のある仏教信者でもないことがむしろどれほど幸いなことなのかという気がする。たとえ、天主教界と仏教界の全体や多数を代表するのではなくても、私がそのうち運悪くあのような一部の神父や一部の僧侶らの講論や説法を聞かず済むだけでも、イエス様と仏様の無限の愛と大慈大悲の祝福を受けたような気がしての話だ。
 
もっとも、イエス様が直接面接して選抜された十二使徒の中にもユダという種があったから、その方より低い階級のローマ法王、大主教、主教が叙品した司祭らの中にはあらゆる変な種がないはずもないが、そして昔も「弓裔」や「辛吨」のような怪僧たちが惑世誣民したことを見れば今日の仏教界にもどうせあのような変な種類らがなくはないだろうが、それでもあのような種らと仕方なく同じ釜の飯を食べざるを得ず、我慢するしかない絶対多数の立派な天主教信者様や仏教信徒の方々の精神的苦労を思えば、何でもない私がその方々に気の毒な気持ちや憐憫を感じたりする。
 
だが、どうしよう。この世はどうせ苦海だと言ったではありませんか? 私は少しもそうするつもりがありませんが、絶対多数の立派なイエス様、仏様の弟子の方々は、私のようなこうでもああでもない「不真面目」らを煉獄や餓鬼道から救援して下さるためにも、辛いでしょうが、あのような変な種らを同じ垣根の中に抱かれて辛抱強くお祈りし、勇猛精進なさることをお願いします。ありがとうございます。
柳根一の耽美主義クラブ
 
http://cafe.daum.net/aestheticismclub 2009.02.05 20:52
뉴스스크랩하기
自由主義保守派の声セクション一覧へ
国会の制圧が目的ではなかった「非常戒厳令」
戒厳令巡り国政混乱
金永會の万葉集イヤギ 第33回
<独占インタビュー> 李相徳・在外同...
이상덕 재외동포청장 독점인터뷰
ブログ記事
マイナンバーそのものの廃止を
精神論〔1758年〕 第三部 第28章 北方諸民族の征服について
精神論〔1758年〕 第三部 第27章 上に確立された諸原理と諸事実との関係について
フッサール「デカルト的省察」(1931)
リベラルかネオリベか
自由統一
北朝鮮人権映画祭実行委が上映とトーク
金正恩氏の権威強化進む
北韓が新たな韓日分断策
趙成允氏へ「木蓮章」伝授式
コラム 北韓の「スパイ天国」という惨状


Copyright ⓒ OneKorea Daily News All rights reserved ONEKOREANEWS.net
会社沿革 会員規約 お問合せ お知らせ

当社は特定宗教団体とは一切関係ありません