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最終更新日: 2026-03-30 07:06:35
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2026年03月30日 04:17
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済州島4・3事件 日本政府記録が語る真実 寄稿・安部桂司
済州島武装蜂起の負傷数と金時鐘

 一般に戦闘における死者数と負傷者数は1対3とされている。ウクライナに侵攻したロシア軍の戦死者と負傷者の数もそのように分析されている。済州島での死者、米軍、韓国軍、西北青年団との戦闘による死者数は、金石範などは8万人と述べていた。
金石範は『火山島』などの作品で知られる済州島出身の作家である。金石範は戦後すぐに渡日しているので、4・3事件時には島に居なかった。ただこの8万人という数字は過大であろう。負傷者の数を三倍とすると、済州島から人がいなくなる。
当時の日本政府の記録、『済州島の現況』(1950年5月16日現在)には、
・死者 2万7719名
・負傷者 1044名
・行方不明 38名
と、記載されているからだ。
青刷りの『済州島の現況』誌を神田神保町で見つけ、萩原遼に国会記者会館食堂で見せた。萩原遼は直ちに死者数をメモした。国会記者会館はNK会が開催される場所であった。まだ、私がNK会に所属していた時期だから、今世紀に入って間もない頃である。萩原遼に見せた頃から済州島武装蜂起に伴う死亡者の数が3万人を上回る事はなくなった。済州島の人々は海の民である。海へ避難したのである。避難と云うよりも南労党の党員は転戦したのである。
NK会にて、南労党No・4の朴甲東氏は済州島から党員を日本に潜入させた事例を喋った。潜入を受けた日本側の記録では、1949年7月1日、福島県平市地域に「全朝鮮民主主義戦線来る」という「壁新聞」が張り出された事で知られる。内容は次のようであった。
「済州島の人民抗争南鮮遊撃運動の弾圧に参加した警察隊を解除させる」(『平騒擾事件の全貌』部外秘、87頁、国家地方警察本部刑事部捜査課、53年5月刊)
当時福島県内には朝鮮人の居住者が6000人を数え、朝鮮人の動きとして朝連の活動も報告されている。世にいう「平事件」は警察署を占拠して、済州島の闘争への連帯の垂れ幕を出した。垂れ幕の件は南労党党員の手記『苦尽甘来』(平壌外国文出版社、85年刊)などが証明する。南朝鮮の革命を支援するために南労党の党員を済州島から日本へ潜入させたと云う朴甲東氏の証言を裏付ける。それらの事を知るNK会の玉城素代表は、野村旗守君にアドバイスして調べさせていた。それは福島県以外にも朝連の活動で済州島の武装蜂起への連帯を訴える事例があったからだ。朝連の活動の盛んな処が潜入南労党党員の受け皿となっていた。
4・3事件の48年は、朝鮮人の密入国者数が異常に増えた年であった。「もともと長崎県は、地理的に極東諸地域と近接している関係から、密入国者の数は全国総計の三分の一強を占め、昭和23年以降は、極東諸情勢の緊迫化と、南北両鮮の対立抗争が漸次表面化し、朝鮮からの密入国者が急増の傾向をたどった」(『長崎県警察史・下巻』1435頁、長崎県警察本部、79年刊)。
4・3事件後に長崎県は密入国者を監視する体制を強化している。それに負傷者数の少なさは日本へ治療を求め、戦線から逃れたのであろう。済州島の民は海に生きる人々であった。金時鐘は4・3事件発生の翌年に日本へ潜入している。国際共産主義運動の舞台に日本を選んだ、転進したと云うことであろう。朴甲東の指令に生きた、ということでもある。

2026-03-31 5面
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