私は、日韓の問題を議論するとき、重要なのは1945年以前の問題ではなく、むしろ戦後の問題だと考えています。
まず、第二次世界大戦の戦争の最大の勝者は、私の考えではソ連のスターリンです。スターリンはナチスに勝利したというそれだけの理由で、民主主義の側であるかのようにみなされました。スターリンは、北韓において金日成政権を作り出し、中国を共産化し、世界中の知識人に影響を与えることになります。50年からの韓国戦争は、共産主義体制のアジアにおける最初の侵略戦争でした。韓国はこの時から、アジアにおける自由と民主主義を守る最前線となったのです。
金日成は韓国戦争後、在日朝鮮人の共産主義運動を「朝鮮総連」として再編成し、直接の政治闘争ではなく、北送事業と、日本国内における工作活動、言論界への宣伝に転換させました。9万3000人の在日朝鮮人が、民主主義の国から共産主義の国にわたった北送事業を、ノーベル平和賞を受賞した作家の大江健三郎をはじめ、日本のほとんどの知識人は人道的な行為と讃えました。
そして60年代以後、ますますこの宣伝戦は効果を上げていきます。60年代から80年代にかけ、日本においては、韓国こそ独裁・ファシズム国家であり、北韓は社会主義の自立した国である、という言説がまかり通っていたのです。一例を挙げれば、68年、美濃部亮吉都知事は、朝総連と北韓のイデオロギーに根差した朝鮮大学校を認可しました。この年は偶然とはいえ、ソウルを北韓のゲリラが襲撃した年です。
そしてあの衝撃的な朴正煕大統領狙撃事件は、日本国内で朝総連や北韓工作員の影響を受けた文世光によるものでした。しかし日本において、この事件が真摯に受け止められ、朝総連への追求が深まったという事実は残念ながらありません。
光州事件は、日本では一方的な全斗煥政権による「虐殺」事件として報じられ、各地で弾劾の集会が行われました。しかし、あの事件に最も近いのは南ベトナムにおけるテト攻勢です。北ベトナムは工作員を南に送り込むとともに、南ベトナム内のベトコンを扇動してサイゴンで決起させ、南ベトナムの権威を失墜させ反戦運動に力を与えました。ベトナム反戦運動が、結果的に共産主義勢力に優位に働き、北ベトナムの勝利後、多くのボートピープルを海の藻屑としたことを思えば、仮に光州事件を早期に全斗煥が鎮圧しなければ、韓国がどうなったかは容易に想像できるはずです。
ベトナム反戦運動のリーダーだった小田実を、朝総連が北韓へと訪問させて金日成礼賛者に洗脳し、小田は金大中救援運動、韓国民主化運動にも強い影響力を持つようになります。日本における韓国民主化運動のリーダーたちは北韓支持者が多数含まれていました。民主主義を語るとき、共産主義と自由民主主義は共存できないことは前提となるべきです。共産主義者との連携による民主化などは言葉の矛盾です。
高市早苗内閣の誕生後、日本でもスパイ防止法の必要性が提起されるようになりました。日本がスパイ防止法を早い時点で持ち、朝総連を調査していれば、拉致事件のみならず様々な問題を解決できたでしょう。遅きに失したとはいえ、このスパイ防止法は全体主義と戦うためには絶対必要な法律です。
問題なのは、韓国の一部で、国家保安法という最も重要な法律に対し廃絶や弱体化を求める声があることです。自由と民主主義の最前線である韓国で北韓や中国への危機意識が薄れては、日韓両国双方にとって危険でしょう。
共産主義独裁と対峙するためには、自由民主主義という普遍的な概念を共有する国である日本、韓国、そして台湾は連携をしていかねばなりません。歴史観や領土問題、そして国益を巡る相違があるのは当然です。しかし、中国の脅威が迫る現在、この3国は連帯して北韓の解放のために、また中国の民主化と各民族の民族自決権確立のために連携しなければならないはずです。
最後に、3・1独立宣言の現代的な意義について述べさせていただきます。日本における2・8宣言、韓国における3・1宣言の意義は、18年にウィルソン大統領の提起した14カ条声明における民族自決の宣言を、アジアで実現することを求めた点にあります。同時に、この14カ条声明は、17年、ロシア革命直後にレーニンが提起した「平和に対する布告」に対峙するものでした。レーニンの布告の本質は、世界の民族解放運動をコミンテルンの指導下に置くためのものでした。ソ連の歴史を見れば、民族自決など、ソ連国内の朝鮮民族の強制移住一つをとってもあり得なかったことは明らかです。
3・1宣言の教訓とは、私たちは現在中国国内で事実上植民地支配下にある、チベット、ウイグル、モンゴル各民族の民族自決こそ支援すべきこと、また民族自決も共産主義を容認してはならないことです。ベトナムやカンボジア、そして北韓を見れば、民族が独立した後に自由民主主義と法の支配が行われなければ、新たな独裁国を生み出すに過ぎないのです。この20世紀の教訓こそ、私たちが歴史に学ばねばならない真理でしょう。
(本稿は、3月28日に三浦が韓国で講演した内容を抄録したものです) |