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最終更新日: 2025-05-27 12:01:12
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2025年05月20日 11:59
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新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第80回 伴野麓

 ”韓隠し”を指弾し真実の古代史を追い求める新解釈を試みている。遺跡の多くを中国(大陸)に結び付ける”飛び越し”を日本史学界は得意ワザにしているような風潮のなかで、武烈の暴虐譚などは事実ではなく、作文だという。
武烈の時代は、平群真鳥が大王のように振る舞った。そうであれば、下剋上も横行した混沌とした時代であったことになる。顕宗・仁賢・武烈は同一人物で百済武寧王であるという説も提起されており、それは武寧王が倭国の大王であったことも意味し、平群真鳥が「日本の王になろうとした」という表現は、倭国王武寧王のいない倭地で、大王位を乗っ取ろうとしたという意味になる。
とまれ、平群真鳥は大伴金村に討伐されたことになるのだが、紛らわしいのは神社伝承に出てくる物部真鳥という名前だ。物部真鳥は、物部麁鹿火とどういう関係になるのか、あるいは平群真鳥とは同人なのか、別人なのか。皆目、見当がつかない。
大伴氏族は、角鹿(越路)を背景にした氏族であったということが明らかになったのだが、角鹿はツヌガアラシト(都怒我阿羅斯等)と関係が深い地で、アマノヒボコ(天日槍)とも同人(神)格とされる。であれば、大伴氏族と繋がるものがあると見られ、あるいは大伴氏族はアマノヒボコの後裔であることを暗喩するかもしれない。

”韓隠し”が日本の古代史を歪めている

平群真鳥が大王のように振る舞ったことから大伴金村に誅滅され、下剋上も横行した混沌の時代であったことを浮き彫りにした。また、顕宗・仁賢・武烈は同一人物であり、百済武寧王であるという説も紹介したのだが、それは、武寧王が倭国の大王であったことを意味し、平群真鳥が「日本の王になろうとした」という表現は、倭国王であった武寧王が韓地百済の大王に就任したことに伴い、空席となった倭国の大王位を乗っ取ろうとしたということを示唆し、「日本の王になろうとした」という表現が理解できるようになる。
大伴氏は、角鹿(越路)を背景にした氏族であり、角鹿はツヌガアラシト(都怒我阿羅斯等)と関係が深い地で、アマノヒボコ(天日槍)とも同人(神)格とされるから、大伴氏と繋がり、大伴氏族はアマノヒボコ族の後裔であったかもしれないと考証した。
そのようなイメージは、『日本書紀』が記す歴史イメージとはまったくかけ離れたもので、”韓隠し”が、いかに日本の古代史を歪め、真実から遠ざかっているかを暗示するものだ。それは、正史である『日本書紀』の歴史が、砂上の楼閣であることを示していることになる。
武烈の暴虐記事は王朝断絶を示唆するものだと解釈されている。いつの時代にも暴君がいたことを、歴史は証明している。たとえば、夏王朝の桀王、殷王朝の紂王、唐王朝の玄宗、さらにはローマ王朝のネロなどだが、問題は実在が疑問視されている武烈の暴虐譚を『日本書紀』はなぜ掲載したかということだ。
考えてみるに、雄略没後以来、朝廷は混乱の渦が吹き荒れたと思われる。そして、顕宗・仁賢・武烈=百済武寧王であるとしたら、武烈の暴虐譚は武烈のものではなく、倭地朝廷の混乱を極大化したものと考えられるのだ。

2505-21-06 6面
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