「ことわり」の語源
「父母を 見れば貴し 妻子見れば めぐし愛し 世間は かくぞ道理 もち鳥の かからはしもよ ゆくへ知らねば」
これは、万葉集に「惑へる情を反さしむる歌」として掲載された山上憶良の歌の冒頭部分である。七二六(神亀三)年、筑前守に任ぜられ任国に下向。筑前守として国を巡回中に目撃した神仙道に傾倒して家族を顧みない人物に対して詠んだものである。
「父母を見れば尊い。妻子を見れば可愛くいとおしい。世の中の『ことわり』はこのようなものであり、鳥もちにかかった鳥のように家族への愛情は断ち切り難い、行末も分からぬ私たちなのだから」という意味になる。四十歳を過ぎてから遣唐使として唐に渡り都で仕官。筑前守となったのは六十六歳の時である。家族の大切さを身にしみて体験していた彼の率直な歌であった。歌を口語訳で続けるとこうなる。
「穴のあいた靴を脱ぎ捨てるように(父母や妻子を)捨てていくとかいう人は、非情の石や木から生まれた人だろうか。名前を言いなさい。天へ行ったら、あなたの思いどおりにするのもよかろうが、この地上ならば、大君がいらっしゃる。この太陽と月が照らす下は、雲の垂れる果てまで、ヒキガエルが這い回る地の果てまで、大君がきこしめす国土なのだ。あれもこれも思いのままにしようというのか、そうしたものではないよ」と辛辣である。そして締めの句が続く。
「天道は及びもつかない。大人しく家族を守って、家業に励みなさい」と。
これは家庭の「ことわり」を謳ったものだ。万葉集にはこの「ことわり」という単語が多出する。「ことわり」の大和言葉の語源は「こと(言)」「わ(割)り」である。即ち、「言霊」が理路整然としている様のことである。万葉仮名では「許等和理」などを充て、そのうち「理」一字を「ことわり」に充てるようになった。
「理」の語源と「天理」
それでは、漢字の「理」はどのような語源であろうか。説文解字には、「玉を治むるなり」とある。「玉」には文(紋)があってそれを磨いて表すことをいう。人にも地にも天にも文がある。それを磨いて世に表すことが「理」なのである。地の文を表すのが「地理」である。人情を情理といい、道理の存するところを「天理」という。古来、理気二元が天地の道とされたのだ。
天の理を教理の根幹とする宗教に天理教がある。江戸時代の日本で発祥したこの宗教は大韓天理教として韓国でも大いに発展している。「天理」は世界共通だからだ。天理教の根幹思想は「元の理」である。宇宙創造の最初は、「神様がこの世をお造りになったのは人の喜ぶ様を見て喜びたいと思ったから」とし、それを「陽気ぐらし」と捉えた。単純明快である。
人の心の動機が「喜び」であるならば、それを作りたもうた神の創造の動機も「喜び」であったに違いない。人は一人では生きてゆけない。誰かが喜んでくれた時に生きがいを感じ、自分が生きていることの価値を感じる。
然るに、現代はどうであろうか。人が人を苦しめ、悲しみが世を覆っている。これが天の理であろうか。悲しみが悲しみを生む無限の連鎖が続いている。
天の理を最も尊んできた国の一つが韓国であったはずである。大統領選挙が荒れている。三権分立であるはずの司法が強権により危機的状態と化した。山上憶良は「ことわり」を貫いた人であったが、国際人でもあった。遣唐使としてさまざまな文化に触れ、一説では父親と共に百済から帰化したとも伝えられている。だからこそ「ことわり(理)」を貫いたのだ。本来あるべき「天理」を取り戻す時が来ている。(つづく)
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六書通の理は、「王」と「里」からなる。「王」が玉を磨いて文を出したものであることがわかる
水間 一太朗(みずま いちたろう)
アートプロデューサーとして、欧米各国、南米各国、モンゴル、マレーシア、台湾、中国、韓国、北韓等で美術展企画を担当。美術雑誌に連載多数。神社年鑑編集長。神道の成り立ちと東北アジア美術史に詳しい。
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