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2023年10月03日 12:18
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大韓民国の建国史327
韓米同盟と西方中心の外交から第三世界を見る韓国

 朴正煕大統領は平壌側が対南ゲリラ戦を仕掛けていた1972年に駐韓米陸軍7師団の撤退を経験した。
同盟の米国が選挙で政権が変われば、対外公約や政策がどれほど簡単に変わり得るかを痛感した。同盟に頼ることがいかに危険なのかを悟った。また、韓国のような弱小国の政治家たち、特に野党政治家たちが米国にどのように利用されるのかも確認できた。
70年代の国際情勢は冷戦の緩和と多極化、特にデタントの雰囲気が現れた。このような環境の下、米国政治家たちは韓国問題の解決において国連の活動よりは韓国人自身の対話と努力を強調するようになった。韓国政府も、もはや国連の役割に期待できなくなった。南・北間の「7・4南北共同声明」(72年)もこのような背景から出たものだった。
米国はニクソンとキッシンジャーが駆使した戦略で中・ソの分断には成功したが、共産圏も米国の戦略を逆に利用した。ニクソンとキッシンジャーの戦略は西欧(NATO)のために樹立され推進されるもので、西欧以外の同盟国には当然、衝撃と犠牲を要求することだった。
特に国連安保理の常任理事国となった中共をはじめ、社会主義圏の国々は、国連軍の撤収と国連韓国統一復興委員会(UNCURK)の解体、当事者間の自主的解決などを主張し続けた。71・72年は総会でのUNCURK報告書の討議も中断された。
結局、西側もUNCURKの解体を受け入れ73年11月21日、第28回国連総会で、全会一致で解体された。デタントの雰囲気に押されて南北間接触を試みた「7・4共同声明」もUNCURK解体に名分を提供した。
朴大統領は国連軍司令部の解体決議案通過や駐韓米軍全体が撤収する悪夢のような状況も考慮しなければならなかった。その渦中、サイゴンが陥落し南ベトナムが敗北したのは大きな衝撃だった。強大国の援助に依存する弱小国は、大国間の取引の材料になると生存しにくいことが分かった。そして、自国の立場を代弁してくれる窓口を米国内に持てない弱小国の運命は危ういものだった。
当時、後の韓米連合司令部の母体といえる部隊が創設された。71年7月1日、韓米混成第1軍団だ。軍団長は米軍、副軍団長は韓国軍将軍が務める体制で後に連合司令部組織と似て、揮下に米軍師団も指揮した。
このような経験に基づき、朴正煕政府は国連軍司令部に代わって有事の際、韓国軍と米軍を総括指揮する機構の必要性を米国側に力説した。韓国は、韓国軍の戦力が強化されるまで在韓米軍が撤収するのを防ぐか、遅らせることが急務だった。米国も戦略的立地が持続的に弱化する現象が起きるや、中国とソ連を狙ったデタント政策を続けることが難しくなった。
このような状況で、カーター大統領の駐韓米軍撤収強行に在韓米軍の参謀長のシングローブ少将が反対する事態が発生した。シングローブ将軍は77年5月「ワシントンポスト」とのインタビューで、50年の韓国戦争のように在韓米軍の撤収は「戦争につながる」とし、カーター大統領の駐韓米軍撤退方針を批判した。カーター大統領は76年の大統領選挙で在韓米軍の撤収を公約として掲げた。朴正熙政権の民主主義弾圧がこの政策を推進した主な名分だった。シングローブは本国に召喚され、カーター大統領と面談した。シングローブ将軍は後日、自分の発言は非報道を前提にしたものだったと回顧した。 
(つづく)

2023-10-04 3面
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