辛光洙の任務は日本に関する情報を収集することではなく、韓国内に地下革命組織を構築することだった。そもそも、平壌側が日本から情報を収集するのには資金は要らなかった。情報収集や宣伝・扇動などは「在日党」の日常の基本課題であるため、在日党の基本組織と傘下団体や事業体、特に、「科協」「社協」などが情報を収集した。
辛光洙だけでなく、平壌側が海外で展開した他の工作も革命組織構築が優先課題だ。ところが、平壌側は日本を舞台にした工作において有利な資源を持っていた。日本に潜入した工作員たちは、日本外の他の国家で活動した労働党工作員たちに比べて、土台人と工作資金の確保が容易だった。事前に物色、研究した土台人の対象に近づき、北韓内の人質(親・兄弟・子どもなど)の写真や手紙、録音テープを聞かせるだけで、彼らは協力者、土台人となった。辛光洙が長野県居住の巨富の商工人から工作資金を喝取した様子は捜査と裁判記録で詳細に記されている。
日本で生まれ1948年に帰国した辛光洙は日本事情に詳しかった。辛の他の土台人たちも北韓に兄弟など人質がいる者たちだった。朝鮮労働党日本支部(朝総連)には、工作を支援し土台人を管理する特別な任務を遂行する者がいた。
在日党(朝総連)の副議長の一人は、対南工作に関する事項を管理したことが知られている。「学習組」と呼ばれた労働党日本支部の党員は、基本的に自分が接触、あるいは接近できるすべての人々(日本人を含む)を革命事業(工作)の直接的、あるいは潜在的な対象と看做さねばならなかった。辛光洙が拉致した原敕晁も、在日党の傘下組織の大阪商工会の幹部が、自分が雇用した日本人だ。日本内での工作の必要を超えて、労働党の工作員たちが海外で日本人に成済ますために必要な情報やデータを収集することも課題だった。
平壌側はこのような工作のために特別に管理した組織の中に「在日本朝鮮留学生同盟」がある。日本の大学に在学する朝鮮人学生で構成されたこの組織は、チュチェ思想と「民族教育」を通じて在日党の幹部として育てられる「革命の後継世代」よりも大事にされた。日本人と変わらぬ言動ができる「留学同」出身は、工作に貴重な宝だった。外国人は留学同出身と日本人を区別できなかった。留学同出身の中には、不正に取得した日本人のパスポートで、海外で日本人として活動した者もいた。
辛光洙事件で見られるように、北側の日本潜入工作、特に土台人を確保するため数多くの北送者が利用された。工作が失敗するか、問題が生じれば在北「人質」たちは、訳も知らず、日本内の土台人の代わりに処刑されるか収容所に送られた。日・北が共謀して地獄に送られた9万3000人(日本国籍者を含む)や北韓で生まれたその子孫は、平壌側の基準から見れば基本的に信頼できない出身成分、つまり厳重な監視が必要な動揺階層に分類された。彼らは金日成王朝の奴隷で、消耗品だった。
朝鮮労働党の目標の「国土完整」のための党の方針テロ国家の国家的目標達成のため、日本人をはじめ、外国人を組織的に拉致するよう指令した張本人が金正だったこと、そして平壌側がすべての資源を総動員したこの革命工作において、在日党の役割がどれほど大きいのかが明らかになるのはずっと後のことだ。いずれにせよ、在日党は拠点の日本を越えて世界を舞台に活動した。当然、日本内にインフラ(日本社会の力)があったから可能だった。
(つづく) |