今日の大韓民国の礎を置いた李承晩と朴正煕をはじめ、建国の父たちは、大韓民国を敵対し否定する勢力によって独裁者と罵られているが、この建国の父たちは、偉大な国を後代に残すという高邁な理念とビジョンを一時も忘れてはいなかった。
経済発展と国土空間の開発は、同時に進められた。軍事革命を契機に、国土は単に物理的、空間的な意味ではなく、未来を生み出す基礎という新しい意味を持つようになった。朴正煕時代から国土は与えられた空間ではなく、作って行く空間という認識が普遍化した。今日、誰もが見ているよく整備された韓国の国土は全的に朴正煕がデザインしたものと言っても過言でない。
朴正煕大統領は、大規模の国策事業を始めるときは、必ず現場に行って祝辞を述べ、関係者たちを激励した。山林緑化事業においても、国家行事の植木日に朴大統領は職員たちと一緒に木を植えた。朴大統領は、いつも工事現場を訪問し、竣工式に参加して関係者たちを労った。勲章を授与したのは現場の技術者たちが最も多かった。
朴大統領は、ブリーフィング方式の会議を好んだ。「輸出拡大会議」「月刊経済動向報告会」など、関連部門が参加する会議を活性化した。可能な限り多くの関係者が出席するこれらの会議は、硬直し教祖的な雰囲気でなかった。朴大統領は、会議で様々な意見を熱心に聞いた。また、会議の内容をメディアが詳報するようにして、国民が政府主導の経済建設に参加する意識を持つようにした。
朴大統領は、経済開発を国土開発と密接に結びつけた。国土開発のための制度的基盤と計画や装置を構築し、国土の開発が持続するようにした。軍事革命直後の1962年から都市計画法、土地収用法、干拓法、特定多目的ダム法、土地区画整理事業法、公園法、地方工業開発法など、精力的に関連法制を整備した。軍事革命政府は、ほぼすべての分野の法と制度を同時に整備した。このような努力だけでも、文明史的革命を追求したと言えよう。
革命政府の努力の結果は、60年代の末から韓国経済の飛躍的な成長として現れた。韓国で公害防止法が制定されたのは「ローマクラブ」結成の5年前だった。「ローマクラブ」は72年、環境汚染や資源枯渇などを理由に人類の経済成長が、100年内に限界に達すると予測した報告書『成長の限界』を出版した。これを契機に、国連環境プログラムも設立された。
韓国では71年、新しい公害防止法が発効した。汚染物質排出施設は事前に保健社会部長官の許可を得るようにするなど、事前規制に重点を置いた。重要なことは、最後進国だった韓国の環境史が、地球的環境史との間に顕著な格差や時差が存在しないことだ。
もちろん、経済開発の初期には朴正煕政権の環境政策が国土政策、交通政策、都市政策などに押されるしかなかった。だが80年代を前後に、環境政策は、初期の公害規制以上の様々な広域的次元で接近し始めた。
今日、韓国は中国大陸から飛来する有害物質のため全国民の健康が脅かされている。今の中国に代表される、経済開発に全力を尽くしている国々と比較してみても、韓国が開発の初期から環境問題の対処に成功を収めてきたことが分かる。世界的に見ても人口過密の韓国で、都市の無分別な膨張を防ぐため、朴正煕大統領が整備したグリーンベルトも、開発と環境保護を同時に追求した成功事例だ。 |