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2020年03月04日 00:00
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<あるこーるらんぷ>金鶴泳 飜譯記 ― 第5回 執筆課程を辿つて

 今月より暫く『あるこーるらんぷ』の執筆過程について考察していきたい。金鶴泳は、1965年10月から1984年12月まで日記をつけてゐた。毎日のやうに日記を書いてゐたわけではなく、その上、日記をつけることを中斷してゐた時期もある。現在、讀者が入手できるのは、クレイン社の文弘樹氏が苦勞して編纂した『日記抄』である。この『日記抄』は、『金鶴泳作品集』の第1卷(クレイン、2004年)に收録されてをり、金鶴泳の執筆活動を把握するためには、大へん貴重な資料である。
久保榮、夏目漱石、高見順、永井荷風などの文學者の日記を幅廣く讀んでゐた金鶴泳は、自分がつけてゐる日記を「遺書の日記」と見なしてゐた。「自分はいつ死ぬかわからない。死ぬ際になってあらためて遺書を、という必要のないように、日記を書いている、そんな気持である。」と1970年12月17日附けの日記に書き留めてゐる。氏が自分の日記に與へた意味がその後に變はつてゐなければ、他人(それは家族にせよ、氏の作品を讀み續けて來た一般讀者にせよ)に讀んで貰ふために書いたものであった、少なくとも他人に讀まれることを想定したものであつた。とすれば、その中に描かれてゐる自畫像は、どこまで有りの儘の自分を反映してゐるかは判斷し難い。この世を去るに當たつて、死後、他人に善く思はれるべく事實を都合よく捩じ曲げて、美化することもあらう。だが、金鶴泳の日記を一讀すれば、決してさうでないことが分かる。
さて、金鶴泳の日記を手がかりに執筆活動を辿つて行くと、70年の1月に、氏は『あるこーるらんぷ』の構想を考へ始めたが、その執筆を本格的に開始したのは、4月末からのやうである。日記の4月27日のページに當時執筆中の「『錯迷』の壁がいつ破れるか方途がつかないので、次作に予定していた『あるこおるらんぷ』の草稿を並行してかいていってみる」と記されてゐる。『錯迷』は71年に「文藝」の7月號に掲載される。同年の11月に『あるこおるらんぷ』の決定稿を提出し、72年に「文藝」の2月號に掲載される。要するに執筆開始から、掲載まで凡そ1年半がかかつたわけだ。その後、金鶴泳は、本作の他に『錯名』と『軒灯のない家』が收録された、第二の作品集の刊行を切つ掛けに、73年2月から5月にかけて『あるこーるらんぷ』の校正を行ひ、さらにこの單行本にあとがきを付け加へた。本の裝幀は李禹煥氏が擔當したが、それは金鶴泳の提案といふより寧ろ版元が決めたやうに思はれる。作品集『あるこーるらんぷ』は同年の7月に世に出て、翌月に金鶴泳が神田まで足を運び、河出書房の本社で「贈本の署名」に取り掛かつてゐたことも日記で分かる。小生の手元にあるこの作品集は、ある有名な編集者に宛てられてをり、その獻本のうちの一册であらう。
『あるこーるらんぷ』の執筆期間に、著者がどのやうな生活を送つてゐたのか、また、どのやうな精神状態のもとに置かれてゐたのか。それに關しては日記から推し量ることができるが、それについては次囘に讓る。
<この文章は旧仮名遣いです>

アドリアン・カルボネ(Adrien Carbonnet) ルーヴェン大学(KU Leuven)文学部准教授、日本学科長兼韓国学研究所所長。

2020-03-04 6面
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