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最終更新日: 2020-03-25 00:00:00
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2020年02月27日 00:00
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海を渡った先人達<36> 先人7人目 雄略天皇⑨

鈴木 惠子

 古事記の景行天皇紀では、ヤマトタケルが蝦夷征伐を終えたあと、尾張のミヤズヒメのところに戻り暫く滞在します。その後、近江の伊吹山の「山の神」を討ち取りに出かけた時に病気になり、ようやく能煩野という所にたどり着いたところで、大和の国を懐かしんで歌を詠んでいます。
「大和は、国のまほらば。たたなずく青垣山、こもれる大和し、うるわし」<大和は、国の「まほらば」である。青々とした山々が垣のように立ち連なっている。その中に籠っている大和という国は、なんと美しいのだろうか>
歌を詠んだあと、ヤマトタケルは亡くなりますが、『日本書紀』では、まったく同じ歌を景行天皇が日向の国で詠んでいます。このことは、景行天皇は、ヤマトタケルが投影されていることを示唆していると思われます。
この歌の中に「まほらば」という言葉があります。意味は「優れた場所」「真に美しい場所」などとされていますが、ポリネシア系のマオリ語に「カプ・マホラ」という言葉があり、「波状の」という意味です。山々が幾重にも連なっている様子は、まさに波のように見えます。奈良盆地に入った原住民は、山々の連なりを見て「マホラ(波のような状態)のようだ!」と感じて、その土地を「マホラバ」と言ったのではないでしょうか。余談ですが、日本語の「お父さん」「お母さん」の語源もマオリ語と思われます。マオリ語では父のことを「TANE」、母のことを「KOKA」と言います。TANEの「TA」が「TO」に変化して「TOーさん」になり、KOKAの「KA」はそのままで「KAーさん」になった。このようにマオリ語は、現在の日本語が形成された過程において最も古い言語だったと考えています。
景行天皇紀には、ヤマトタケルは16歳で熊襲征伐をして、30歳で蝦夷征伐をした後死去したとあり、この年は景行天皇が皇位に就いて43年であると記されています。景行天皇が即位した年は、太歳辛未とあることから、すでに311年と推定済みですが、ここでは干支を2巡(120年)繰り下げて、431年とさせていただきます。その43年後の474年に、ヤマトタケルは死去したことになります。
31年は、倭王(名前不明)が宋に朝貢した1年後であり、ヤマトタケルが死去した474年は、百済の蓋鹵王が死去した1年前にあたります。また、ヤマトタケルの墓とされている三つの白鳥陵がすべて空ということは、ヤマトタケルが、455年に百済の蓋鹵王となって倭国から去って行ったことを暗示しているようです。ちなみに、蓋鹵王の「蓋鹵」は、韓国語の発音では「ケロ」なので、タケルの「ケル」に対応しています。この年代のほぼ一致は、ヤマトタケルという人物が倭王・讃の死後430年頃に倭王に即位し、455年に百済の蓋鹵王になり、475年に死去した、ということを示唆しているようです。
この推察どおりであったら、430~455年の間に中国に朝貢した倭王(名前不明)と珍、済の3人は、ヤマトタケルということになりそうです。ヤマトタケルを百済の蓋鹵王(慶司)であろうと推定すると、まさに「ワカタケル大王」なのです。なぜなら「ワカ」は韓国語で「来て行く」という意味もあるので、「百済から来て、百済に行って蓋鹵王になったタケル大王」ということになります。

2020-02-27 6面
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