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2019年11月27日 00:00
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大韓民国の建国史(175)アパート時代を開いた、麻浦マンション建設秘話

 張東雲は回顧する。「私は団地化したアパートを建て、中間層を入居させることでマンションに対する印象を劇的に改善するつもりでした。金鍾泌情報部長と最高委員たちに会って、私の発想を説明したら皆、賛成しました。建設資金はUSOM(米国対外援助団)が管理していた、米国の援助物資を販売した資金の支援を得る考えでした。だが、USOMの住宅局長が反対しました。1人当たりの国民所得が80ドルの国がエレベーター輸入に資金を使えるか、ということでした。
結局、全額を国庫から調達することになり、10階の計画がエレベーターを設置できなくなって6階にしました。中央暖房システムも構想したが、豪華すぎるという世論に押されて世帯別の練炭ボイラーに変えました。水洗トイレは、飲み水が足りないのに、という反対論に直面したが、計画を貫徹しました。国内には洋式の便器のメーカーがなかったため、日本から輸入しました。
韓国を代表する建築家や学者たちを集めて設計諮問委員を作りました。外国のアパートを見て設計したのではなく、私たちが議論して韓国式に作った団地です。9坪、12坪、15坪型に作って賃貸アパートとして運営することにしました。できるだけ多くの人々がアパート生活を経験するようにしたからです」
麻浦アパートの敷地は、安養へ移った麻浦刑務所内の野菜畑だった。法務長官はこの敷地をソウル市に売却しようとした。張東雲は尹泰日ソウル市長を説得して住宅営団が安値で購入した。1次年度分の6棟450戸が1962年12月1日、竣工したが意外に入居者が少なかった。10分の1程度の入居だったため冬にパイプが凍破し練炭ガスがよく抜けなかった。
住宅公社(住宅営団が住宅公社に名称変更)は、入居者を安心させるためモルモット6匹を複数の部屋に入れて実験した。幸いガス中毒がなかった。現場所長は入居者たちの抗議に揉まれてある日、酒をたくさん飲んでガスが最も多く漏れると言われた部屋で寝る一種の人体実験を敢行。張理事長は直接アパート生活を視察した。
「トイレットペーパーを使わないなどでトイレが詰まるなど、初体験のアパート生活に曲折も多かった」
麻浦アパートを背景にした映画が製作されるなど、徐々に印象が変わり、夏からはプレミアムがついて賃貸され始めた。張東雲は68年に再び大韓住宅公社の総裁に戻り、東部二村洞に漢江マンションを建設する。彼は「27~55坪型を建て、この事業が大成功したため、本格的なマンション時代が開かれたのです。今は撤去された南山の外人マンションも、このとき建てました」と言った。
「麻浦アパートを建設中の62年、ローマ旅行のときタクシーに乗り運転者がアパートに住んでいるというので、彼のアパートを訪問した。アパートの便利さを確認し、アパート建設に確信を持ちました。だが、これほど普及するとは夢にも思わなかった」
朴正煕大統領は61年12月10日、ソウル市の公営住宅入居式で原稿なしで演説した。
「夕食のとき電灯が付いたり消えたりでロウソクが必要だったが、今年から家庭でも徹夜で電灯を使えるようになりました。私たちが電源をたくさん開発していません。出力も同じです。ではなぜこうなったのか。これは、管理する人、取り扱う人、公務員、担当官などが不正をせず正直になったためそうなったのです」(つづく)

2019-11-27 3面
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