韓米間の頂上会談事前協議の状況はそれ以上明らかになっていないが、朴正煕議長はケネディ大統領に会いに行く途中、東京に立ち寄って池田勇人総理と会談することになった。韓日修交を事実上拒否してきた李承晩大統領とは違って、朴議長は経済開発に必要な資金を日本からの賠償金で調達すると心を固めた。1961年11月11日、日本に到着した朴議長一行は池田総理主催の晩餐会の後、夜9時15分頃、迎賓館に戻った。朴議長と会談代表団は、翌日の首脳会談に備えるため、迎賓館の1階会議室に集まった。
裵義煥首席代表は、首脳会談で議論される主な議題として(1)国交正常化問題(2)財産及び請求権問題(3)在日韓国人の処遇問題(4)漁業関係(5)文化財返還問題の五つを要約し、ブリーフィング式で会談戦略を説明した。
「五つの議題の中で国交正常化問題は、最終的な事案であるため最後に取り上げられるから、明日の議題は残りの四つとなります。私たちが重点的に取り上げる議題は『財産及び請求権』です。外交上、Property&Claimsと表現していますが、実際は賠償請求権です。私たちが技術的にどれほど多く確保するのかが目標です。もっと望むなら、請求権の具体的金額の範囲まで妥協できるかもしれない機会です。おそらく今、池田総理も自民党内の重鎮たちと請求権の範囲に関して協議しているはずです。日本側が積極的に提案してくると思われるのは、漁業関係であるはずです。日本の政治の基盤は農漁民であるため、池田総理もここに重点を置き協議を進めると思われます。わが国は平和線を侵犯した日本人漁民を現在、釜山の収容所に収容しており、日本は密航した韓国国民たちを収容しているため、もし漁業関係で対話が行き詰まれば、日本人漁民とわれわれの密航者を交換するカードを出せば良いと思います」
対策会議は約1時間後終わった。席を立った朴議長は首脳会談で通訳する鄭一永代表に「鄭教授、私とちょっと話しましょう」と呼んだ。鄭代表は、スイスのジュネーブ大学で国際法を専攻した後、自由党政権のときから韓日会談に参加、日本側の国際法的主張に対して韓国側の立場を代弁してきた。ソウル大学の教授でもあった鄭代表は1961年の初め、韓日会談の代表として日本での活動中、5・16革命が起きて帰国した。軍事政権が韓日会談の代表団を新たに構成することになるや、鄭一永教授は最高会議から呼ばれて経過報告をすることになった。
「そのとき35歳だった私より10歳も年上の朴正煕議長を初めて見ました。私のような若い学者を、韓日会談の外交経験があるという理由だけで演壇に立てて説明を聞くということでした。韓日会談の経過を説明しながら朴議長の方を見たら、手帳を取り出していちいち書き留めていました。『ああ、この人は途方もな責任感を負っているんだ』と思いました」
東京の迎賓館で鄭代表を呼んだ朴正煕議長は、ソファに座りながらこう話し始めた。
「さあ、明日が会談だが、どうすれば良いの?」
「閣下、お聞きしたいことを先にお話してください」
「日本側からのお金を得てわが国の経済を発展させねばならないのに、これをどう切り出せばいいだろう? むやみに賠償金を出せと言うわけにもいかず、向こうからは直ぐにも国交正常化しようというはずだが」(つづく) |