崔龍海は金正恩の登場とともに一気に「ナンバー2」にのし上がったことで注目を集めた。しかしその後は幾度となく失脚・降格が報じられ、階級の高下が激しい人物としても有名になった。父の崔賢は金日成とともに抗日パルチザン闘争をしたと称えられている、いわば”由緒正しき血筋”の人物だ。
葬儀名簿に名前が載っていなかったのは、今までのように懲罰による降格や解任なのか、あるいは近年続発している粛清の対象になったのか。複数の韓国メディアは、消息筋の話として、崔龍海が地方の協同農場で、革命化教育を受けていると伝えている。粛清されてはおらず、事実上の解任にとどまったとの見方だ。この情報が事実だとすると、比較的軽い処罰で済んだといえる。
解任との見方は広まっているが、その理由は定かでない。一説には金日成社会主義青年同盟が建設を行っていた「白頭山英雄青年発電所」が、十分に稼働しなかったことの責任を負わされたともいわれる。同発電所は10月10日の労働党創建70年の直前に完成した水力発電所で、崔龍海は青年同盟の事業を担当する党書記だったという。
崔龍海が粛清を免れたことについて、韓国では、崔龍海が父の代から続く「パルチザン第2世代」であることが理由ではないかと見られている。崔龍海は過去にも懲罰を受けたものの、革命化教育など軽微なもので、その後役職にも復帰している。
一方で、異なる見方もある。ある専門家の指摘だ。
「粛清された張成澤や玄永哲などと決定的に異なるのは、崔龍海は配下に動かせる兵力を持っていないことだ。確定情報ではないが、反抗的な態度をとったり、忠誠心が欠けていたために処罰されたことでもないようだ」
中国との関係もある。崔龍海は2013年5月、金正恩の特使として訪中。今年9月に北京で行われた軍事パレードにも北韓代表として臨席している。
中朝関係は現在冷え込んでいるといわれるが、その契機となったのは、長らく北韓の対中窓口だった張成澤の粛清だ。習近平・国家主席とも会っている崔龍海を処刑すれば、対中関係が悪化するとの判断が働いた可能性はある。 |