北韓戦略センター代表 元耀徳収容所収監者 姜哲煥
1960年代まで、北韓は緩い形の収容所を運営していた。6・25戦争(韓国戦争)の時、韓国軍を助けた「治安隊」加担者や地主、クリスチャンが政治犯であった。
しかし、金日成の権力私有化が本格化し、いわゆる反党反革命分派分子の烙印を押された最高位層の幹部とその家族を収容所に収監させるには名分が欠けていた。そのため後継者の金正日は、首領絶対主義のために反対派に容赦なく噛みつく国家安全保衛部と呼ばれる”猟犬”を育てた。
国家保衛部が創設された1970年代、全国各地に12の収容所が作られた。アウシュビッツ収容所のように軍隊が完全武装したまま維持する政治犯収容所が完成したのである。代表的な政治犯収容所は、咸鏡北道の会寧(22号)、穏城(12号)、鍾城(13号)、明澗(16号)収容所だ。咸鏡北道・清津市の輸城教化所(25号)は第1級政治犯収容所で、罪が最も重い政治犯が収監されている。
1990年の初め、アムネスティ・インターナショナルは最悪の1級収容所である平安南道・勝湖里政治犯教化所の存在を告発した。北韓当局は秘密が明らかになったことを理由に収容所を電撃解散したが、輸城教化所が勝湖里政治犯教化所の後身として拡大運営されている。
筆者が収監されていた咸鏡南道の耀徳収容所(15号)は、1989年まで区域が2つに分かれていた。筆者が生まれ育った革命化区域は、釈放が可能な地域であった。しかし、収容所全体の10%がいた革命化区域を除く地域は、一度入ると永遠に出られない完全統制区域だった。収容所の証言者の中に耀徳出身者が多いのは、釈放可能な革命化区域出身だからである。金氏王朝が誤って釈放させた耀徳の受刑者の一部が、最終的に北韓全体の収容所の実態を明らかにしたのだ。
最近、平安南道の价川収容所(14号)の収監者だった申東赫氏が証言を覆して議論を呼んでいる。北韓は好機を得たとばかりに国連のCOI(事実調査委員会)の報告書と決議案が無効であると主張している。しかし北韓の収容所の実態は、1人や2人の証言で明らかになったのではなく、2万7000人の脱北者と衛星で確認された科学的真実に基づいている。収容所に収監された20万の政治犯は、2300万の北韓同胞全員が知る事実である。
金正恩政権は最近、国際社会が北韓の人権問題を正面から取り上げていることに深刻な危機を感じている。核とミサイルなら外の世界で取り上げられても体制維持に役立つかもしれないが、人権問題は、金正恩を除くすべての人の問題だ。北韓がいくら隠そうとしても彼らが行った収容所での反人倫犯罪は覆うことができない。金正恩とその追従勢力は、北韓政権が永遠に滅びないかのように錯覚している。しかし、彼らは犯した反人倫的犯罪行為に対する歴史と北韓人民の厳密な断罪は、絶対に避けることができない。
申東赫氏が証言を訂正 北は糾弾、国連は擁護
脱北者で、現在は韓国を拠点に人権擁護活動を行う申東赫氏が自叙伝に誤りがあると認めた。
申氏はこれまで、「14号収容所」として知られている平安南道の价川政治犯収容所で生まれ、05年に脱北するまでそこで生活してきたと証言していた。しかし、シン氏は1月16日、米ワシントンポスト紙のブレイン・ハーデン記者に対し、6歳頃に、母や兄と一緒に18号収容所に移されたと証言を変えた。脱北を計画した母と兄を収容所に告発し、2人が14号収容所で銃殺されたとの証言も、18号収容所で起きたとのことだ。
北韓政府は申氏を厳しく糾弾。慈成男・国連大使は21日、申氏らの証言をもとに国連総会で採択された北韓の人権非難決議が「無効」であるとする書簡を、潘基文事務総長らに提出した。申氏については「詐欺師」などと表現している。
一方事務総長側は、申氏の証言が「300人以上の証言の一つであることを重視すべき」と述べ、北韓政府に改めて人権状況の改善を求めた。