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2011年06月13日 15:31
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平壌の運命はソウルにかかっている!
東ドイツの崩壊を決定した西ドイツ、北韓の存続を図る韓国...親北清算の可否が統一への関鍵
金成昱
金正日政権の運命は汝矣島にかかっている。従北・親北主義の剔抉可否が彼らの生死を分けるだろう。ドイツの場合がそうだった。東ドイツは国運が尽いた頃西ドイツに執拗にすがったが、西ドイツは「根本的な変化」を東ドイツ支援への条件として打ち出した。そして押し寄せて来る東ドイツ住民を条件なしで受け入れた。
西ドイツ政府が東ドイツ政権を露骨に倒そうとした訳ではない。実際、西ドイツのコール首相は、東ドイツの安定を望んだ。彼は、1989年9月5日の議会演説で「この人々の脱出決定は尊重するが、東ドイツを離れて西ドイツにくるように誘導することがドイツの政策の合理的目標にはなれない」、「東ドイツの問題は東ドイツが解決するべきで、ボン(西ドイツ首都)が解決することはできない」と言った。1989年11月22日、ストラスブールのヨーロッパ議会でも、「ヨーロッパの統合が一歩進んでこそドイツの統一が完成できる」と一喝した。東ドイツ政権の崩壊にともなう費用負担を恐れたのだ。
だが、急増する東ドイツ脱出民の前で西ドイツ人は常識的に思考した。「自国民(?)」の送還を要求した東ドイツの要求に、ジャイトス西ドイツ長官は「われわれに属したドイツ人たち(東ドイツ脱出民)を帰せと要求することは、東ドイツがわれわれの内政に干渉することだ(89年9月14日議会演説)」と返事した。
コール首相は、社民党の「接近を通じての変化」を「もの乞いを通じての変化」と卑下し始めた。社民党は、コール首相が所属した基民党(キリスト民主党)に比べて相対的に左派色の政党であり、東ドイツ政権の正統性を認めていた。ただ、韓国の民主・民主労働党・ハンナラ党の一部勢力のように北韓政権を盲目的に庇護する破廉恥な政治集団ではなかった。
西ドイツは、1983~84年に19億5000万マルクの大規模の借款を東ドイツに提供した。しかし、コール首相は、対東ドイツ経済支援を「東ドイツ内の旅行自由化」や「東ドイツ人の西ドイツ訪問の自由化」、そして「国境地域お自動発射装置の除去」、「政治犯釈放」など人権改善と連係させた。
1989年の夏がを過ぎながら東ドイツが限界に達した情況が明確になるやコール首相は、東ドイツの「根本的な改革」を条件として打ち出した。これなしでは経済支援・物的支援・軍事分野の協力が全て不可能だということだった。コール首相は、東ドイツに政治犯釈放はもちろん、旅行・言論・情報・労組の自由保障、共産党の権力独占の放棄・独立政党の認定、自由・秘密・平等・普通選挙の保障、計画経済の廃止と市場経済構築などを要求した。
東ドイツは最後まで持ちこたえようとした。1989年11月、西ドイツへ続く国境通過所33個を追加開放したが、同月20日、東西ドイツの頂上会談で「東ドイツは社会主義国家として残り、主権国でありドイツの統一は考慮対象でない」と主張した。
だが、脱出行列は東ドイツから西ドイツに終わりなく続いた。1989年10月から1990年1月まで4ヶ月間30万人が移住し、デモや騒擾が拡散した。翌年の1月15日、10万人の群衆がシュタジ本部建物を占拠し、2月13日の東ドイツのライプツィヒの月曜デモは、「(西ドイツから)マルクが来ないと、われわれがそちら(西ドイツ)に行く」という過激なスローガンに変わった。
大勢は逆らえなかった。1990年3月、東ドイツの総選挙で早急な東西ドイツの貨幣・経済統合を公約として打ち出した「ドイツ同盟」が圧勝し、東ドイツ基民党のドメジオが首相に選出された。ドメジオ首相が率いる東ドイツ人民議会は、同年8月23日、10月3日付で東ドイツが西ドイツの基本法の適用領域に加入するという東西ドイツの統一を決議する。
ドイツの統一過程を見ると無理がなく自然だ。東西ドイツの交流が増えながら東ドイツ住民は西ドイツの実状を見て、いわゆる「人間の顔をした社会主義」の虚像が判るようになった。1960年から1985年まで西ドイツを訪問した東ドイツ人の数字は100万ないし160万人、1986年200万、1987年500万、1988年675万人を超えた。1980年代中盤以後89年まで約5年間、成人4人中1人が西ドイツを訪問した。(*左写真は1989年11月9日、ベルリン障壁の崩壊を喜ぶドイツ人たち)
1000回の言葉より強力なのが体験だ。東ドイツ住民は、彼らの社会主義祖国が亜硫酸ガスの大気汚染は西ドイツの5倍に達し、西ドイツへのテロリストの本拠地であり、水は1/5が飲めない状態だったことを知るようになった。東ベルリンのセネペルト空港は麻薬の密輸中心地だった。東ドイツの住民は怒り、統一を叫んだ。東ドイツ政権は必死にもがきながらいわゆる「人道的支援」を要請したが、西ドイツ政府は断固とした。根本的な変化のない支援は出来ないということだった。
東ドイツと比較できないほど滅びてしまった北韓が未だ持ちこたえる理由がここにある。西ドイツにはわれわれのような親北・従北主義者が少なかった。
金正日の死を控える北韓は、これから一層急激に没落する。しかし、北韓がいくら終わりまで行っても南韓の制度圏内の親北・従北主義者が弱化しなかったり、親北・従北政権の再登場、あるいは、ハンナラ党政権が親北・従北化されれば自由民主主義統一は遥遠なことになる。戦争は休戦線でなく、ソウル、汝矣島のまさにここで繰り広げられている。
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記事: 洪熒 (hyungh@hanmail.net)  
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