韓・ヨルム(大学4年生)
大韓民国の根っ子をどこで探すべきなのか? この国の建国と民主主義の萌芽はどこから始まったのだろうか? われわれが今享有している市場経済と民主主義の出だしはどのように始まったのだろうか? この質問への答を建国大統領李承晩と言える国民は左程多くないだろう。これはわれわれが大韓民国の建国と自由民主主義という健康な国家理念に対してどれ程無関心なのかが分かる反証ではないだろうか?
李承晩建国大統領に対して今大学生たちが持っているイメージは、「親米主義者、親日派」で代表されると言えよう。だが、歴史を正直に観察すると李承晩大統領ほど徹底した反日独立精神を持った人物がなかったし、彼が米国の数多い誤解と非協調的な態度にも拘らず独立国家の建国のためどれほど努力したかが分かるはずだ。李承晩大統領が自らの栄達のために米国を韓国に引入れたように言う歴史観はあまりにも間違った考えだ。彼は徹底した反共、反日、そして民主主義の信奉者であった。
韓国社会の左派をはじめ、大衆の多くが簡単に言うのが李承晩大統領の所為で韓国が分断国家になったという主張だ。だが、時局がどの時代より混乱した1940年代の末、まさに日帝植民治下から解放されたばかりで、米・ソなどの列強がまた韓国を舞台に争っていた当時、彼が下せた最善の選択は南韓だけの独立国家の建設だった。
もちろん、統一国家としての建国が最も良い形であったが、すでに共産主義者によって国家全体が揺れている政局の中で大韓民国を健全な国家として護れる唯一の理念である自由民主主義を守護するためには南韓だけの単独政府の樹立(*左写真は建国大統領就任式)がやむを得なかった。李承晩大統領とような慧眼や決断力がなかったら、今の民主主義を唱える大韓民国は生まれなかっただろう。
彼がこの国の民主主義の父であることは、逆説的に彼に「独裁者」という汚名を着せた「4.19革命」を通じて最もよく示される。彼が学生たちの示威を見て、「不義を我慢しない学生たちが誇らしい」と言ったことを知っている国民がどれくらいいるだろうか。自分が命をかけて護り抜いた民主主義の土台で育った学生たちが、不義の権力と考える対象を糾弾する姿を見るだけでも彼の心は嬉しかったはずだとあえて考えてみる。李承晩大統領の下野もやはり全的に彼の選択だった。
「私が下野すればこれ以上誰もケガしないのか」という短い質問をして自ら下野を決めた李承晩大統領だった。もちろん、政権末期に見られる失政はあるが、彼が国民の安危と民主主義の守護を最も重要な国家理念とした誇らしい建国大統領であることには疑いの余地がない。
李承晩大統領の経済観は早くから先駆的だった。1901年、獄中で執筆した『今や天下の根本が農業でなく商業だ』という題名の「帝国新聞」の論説を読むと、国がを富めるようにするためには、農本主義から抜け出て英国の重商主義を手本とせねばならないと主張している。だが、李承晩大統領の執権期は解放後の混乱に「6.25戦争」まで重なって国民の大部分が絶対貧困状態だった。こういう惨状の中で彼が為した最初の成果は米国に約22億の経済援助を要請して受け取ったことだった。米国からの経済援助で1955年まで鉄道、道路、港湾、通信、電力など主要な社会間接資本の構築ができた。(右は獄中の青年李承晩)
また、1954年以降政府から帰属財産や企業体の払い下げを受けた民間企業家たちに、輸入代替産業に投資するよう督励し、日本製工産品の輸入を抑制し低為替レート政策に基づいて援助物資を民間企業に安く配分するようにした。そして輸入代替産業に対して長期・低利の外資貸付や低金利の金融支援、そして税制上の優待措置などの色々な恵沢を施した結果、1954年以後韓国の製造業は11.5%の高度成長ができる。当時の高度成長によって1960年代に製造業輸出の活路を開くことになったのだ。
李承晩大統領が為した最も重要な経済業績と言えるのは農地改革だ。1948年3月、帰属農地の分配作業を継承し政府樹立後「帰属農地」約7万町歩を分配してから1950年に本格的な農地改革に着手することで解放後韓国経済の最大懸案だった農地改革事業を完結させた。李承晩大統領が推進した農地改革の骨子は、同じ時期に北韓で金日成が始めた土地改革と根本的な差異点がある。
金日成が推進した農地改革は、土地の「耕作権」を住民に与え、土地やその産出物は国家が所有する体制だったが、李承晩大統領の農地改革は、国民に土地の「所有権」を与えることだった。これは個人の資産所有と自由な経済活動を督励する自由競争市場経済体制の土台を築いた業績だった。李大統領の農地改革は政治、経済、文化、社会各方面に大きな影響を及ぼすようになり、これはまさに韓国の産業化への寄与であり、韓国の資本主義経済発達に刺激剤の役割を為したのは明確だ。
私たちは建国大統領李承晩に対してあまりにも分かっていない。そして大韓民国の国民として彼に関する無知が如何に大きな過ちであるか、これがどれほど大きな国益の損失なのかが分かっていない。建国を為し遂げた人はこの国を建てた父も同然だ。もちろん、建国の功を全部李承晩という一人のものとは言えないが、彼の大韓民国への愛国心と情熱、そして時代を見通す洞察力と決断がこの国を建てるのに最も大きな役割を為したことを明確に記憶せねばならない。国を導くべき新しいリーダーを選ぶ時が近づく今、どの時代より李承晩大統領に対する再照明が急を要すると思う。
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