柳根一
南北軍事会談が開かれる模様だ。言葉だけが「会談」で、北側の会談方式は自分たちの枠組みの中にこちらが入ってこいという式だ。共産主義者の大前提は「革命の絶対的正当性」だ。世の中を、真理-正義陣営と反真理-反正義陣営に分けて、自分たちは前者、外の世界は後者という前提だ。
そういう視角から、前者は後者を道徳的劣等者として取り扱う。したがって後者に対してはどんなことをやっても良いという前提が敷かれている。共産主義者らが外の世界に対してそこまで極度の憎悪、呪詛、罵倒、傲慢不遜、悪口、侮辱、乱暴な扱いを行う理由がそこにある。資本主義国家、植民地従属国に対しては基本礼儀や倫理などを全く守らないのがむしろ当然だという遣り方だ。
韓半島の南北関係においても、金正日の北韓は大韓民国を独立国家として認めない。大韓民国がいくら世界12位の貿易国、先進情報化社会、世界化された主権国家と言っても、自分たちはそう看做さないというのが金正日集団だ。だから、南北会談というものもそういう彼らの立場では「韓半島唯一の主権国家」の北韓と、「米帝国主義の植民地ファッショ」の間の非対称的な接触という枠組みを設定する。
南北会談を、百回千回やっても、何もうまく行かないのはまさにそのためだ。李明博政府が何か特出した会談戦略を持って彼らに会うことにしたのかは分からない。しかし、政府は金正日のこの戦略の枠をよく弁えて臨まねばならない。われわれが言う会談と、彼らの言う会談は違う。これを知らずに臨んだら、彼らが設置した舞台の上で彼らの脚本や演出に利用される格好になる憂慮が大きい。
何よりも、会談のアジェンダから、徹底して用意周到にわれわれの枠組みによって、あるいは、国際社会の公準によって先占せねばならない。彼らの抽象的で修辞学的な「民族」云々、「平和」云々、「大団結」云々、「有無相通」云々、「自主」云々、「合作」云々の用語混乱戦術に引っ掛ってはならない。
今回の南北軍事会談は、あくまでも天安艦を爆沈した加害者、延坪島を砲撃した加害者と、それに無残にやられた被害者の間の接触、したがって、被害者が加害者を問責し、謝罪を受け、再発防止を要求し、被害補償まで請求する性格の接触でなければならない。
殴ってはあやし殴ってはあやしながら、モノを出せというのが北のパターンだった。一方、殴られては会い殴られては会って、与えると言ったのがわれわれ(南)のパターンだった。なぜいつもこういう形でなければならないのか? 待っていたかのように「会談」に応じる前に、会談らしい会談の大原則を立てて闡明すること、そして、そうでなければ会談らしくない会談には決して応じないというわれわれの正大な姿勢を確立することがもっと重要な先決課題と言えよう。
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