では労働党は、どのような形態で組織改編を断行するだろうか。
東亜日報は8月28日、北韓消息筋の言葉を借りて興味深い分析を出した。北韓が、金正日独裁体制を中国式の集団指導体制に変えようとしているというものだ。集団指導体制への移行は、権力を順調にジョンウン氏に継承させるための前段階として設定するという。
東亜日報に語った消息筋は、現在金正日1人が務める労働党政治局常務委員が5人に増えるだろうと分析。金正日に加え、3男のジョンウン、実妹・金敬姫の夫である張成澤が“ロイヤル・ファミリー"から加わると見られる。それに軍の高官1、2人が入るとの観測だ。軍から抜擢されるのは、金正日の健康悪化後に力を伸ばした呉克烈・国防委副委員長などになると予想される。
集団指導体制になるとすれば、その最大の利点は、政治的基盤が弱いジョンウン氏を“後見人"である張成澤らがサポートしつつ、ほかの政治勢力と権力を分けることで、安定を図れることだ。それと同時に、労働党の機能も回復できる。
北韓の伝統的な統治機関は、党と軍、保衛部の3機関だ。
ところが金正日が先軍政治を掲げて国防委員長に就任して以来、党の地位は相対的に弱まった。今では役目がほとんどなくなっているというのが北韓消息筋の一様な証言だ。
世襲問題は、絶対的な権力を持つ金正日であっても容易に達成できない難題だ。
韓国を含めた海外メディアはジョンウン氏を金正日の最有力後継者と報じているが、金日成から金正日への権力委譲に10年かけられたことと比べると、ジョンウン氏の知名度や権力基盤ははるかに脆弱だ。党の高位幹部でさえジョンウン氏の顔を知らない状態で、党代表者会議で後継者に指名するのは困難だといっていい。
かつて金日成は、党代表者会議を政治的にどう活用したのだろうか。
最初の代表者会議は1956年に開かれた。金日成が政敵だった「沿岸派」と「ソ連派」を大々的に粛清した直後のことで、乱れた内部の政治構図を整理するために招集された。金日成は党大会を通じて、北韓体制を独裁で固める基礎も整えた。
2回目の会議開催は1966年。中国で毛沢東主導の「文化大革明」が始まった翌年のことだ。
金日成は第2回会議をきっかけに、独裁指導体制構築に積極的に協力した政治的同志である「甲山派」の排除を始めた。会議が行われた翌年の67年5月には、甲山派の中心だった朴金吉吉、李孝淳などを処刑台に送ることに成功した。
その後党内に総書記と秘書制度が新設され、金日成は政敵の排除と独裁体制の確立、息子である金正日への権力委譲のための基盤作りを完成させた。
2度の党代表会議を巧みに利用した金日成。その成功に倣おうとする金正日は、44年ぶりに行われる会議でどのように立ち振る舞うのだろうか。 |