学生特有の観念性というものだろうか。
優柔不断な人間であると同時に、観念的な人間。
それに、繰り返していえば、やはり洋子との結婚が可能だとは思えないということが、最も大きく彼の気持にブレーキをかける。不幸な結末が、目に見えるような気がするのである。これもまた、優柔不断な人間の、優柔不断であるゆえんであろうか。
洋子は、こんどは、南側の窓辺に行って、塀の向こうの隣家を見下ろした。アパートはスレートの屋根だが、平家の隣家は黒味がかった灰色の普通の瓦屋根である。
「金沢では、紺色の瓦屋根が多かったわ」
洋子は、テーブルに向かって坐っている祥一を振り返りながらいった。
「紺色?」
「普通の瓦に、紺色の釉薬(うわぐすり)が塗ってあるのよ」
「何のためだろう」
「釉薬を塗った方が、長持ちするらしいの」
それから、金沢の町は、駅前は別として、少し行くと、三階建て以上の建物の建築は禁じられている、ともいった。
「どうして」
祥一はまたきいた。
「どうしてかしら。町の美観を損ねないためかしら」
洋子にもよくわからないらしかった。
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「とにかく、金沢はいい町だったわ。城下町のせいかしら。新潟なんかは平凡な地方都市という感じだったけれど、金沢はしっとりと落ち着いた町だったわ」
そういって、洋子は窓辺を離れた。
「さてと、何からはじめようかな」
洋子は部屋を見回した。
「掃除だったら、もう済んでいるよ」
祥一は笑った。洋子が部屋を見にくるというので、祥一は一応の掃き掃除を済ませておいたのだ。
「これでお掃除をしたつもり?」
こんどは洋子が笑った。指で床をなぞって、それを祥一に見せた。
「この埃は、なあに?」
「箒(ほうき)で掃いただけだから」
「拭き掃除もしなくてはだめよ」
洋間だから、部屋の中ではスリッパを履いている。拭き掃除は必要ないと祥一は思っていた。
「まずこの空き瓶を片附けなくては」
と洋子は空き瓶を数本ずつ、階下に運んで行った。
「片附けるって、どこへ片附けるんだい」
祥一は瓶の片附け場所を知らなかった。紙屑などは、階下の階段横に大きなダンボール箱が置かれてあり、そこに入れて置くと、管理人の奥さんが定期的に処分してくれる。
しかし、瓶のたぐいは、どこに捨てたらいいのか。ウイスキーの空き瓶だけに、管理人の奥さんや同宿人の手前、ダンボール箱の横に並べておくのも、何となく気が引けていた。
だが、洋子は、さっさと空き瓶を階下に運んで行った。しばらく時間を置いて戻ってきたので、どこに捨てたのかときいたら、ここに置いて下されば、そのうちに片附けます、と管理人の奥さんに庭の一隅を指定されたという。
アパートの手前隣りの平家が、管理人を兼ねている家主の娘さん夫婦の住居だということも、アパートに来る途中、洋子に話しておいた。
人見知りをせず、てきぱきとそういうことをするところも、職業柄のせいだろうか。
1984年9月8日4面 |