「あらあら、ウイスキーの空き瓶が、相変わらずこんなにたくさん」
窓辺の床の上に、ウイスキーの空き瓶が十数本並んでいた。
湯島の下宿にいたときも、洋子は二、三度祥一の部屋を訪れたことがあった。そのときも、部屋の隅の畳の上にウイスキーの空き瓶が並んでいた。
「お酒を飲むのも、ストレス解消にいいかも知れないけれど、飲みすぎないようにしてね」
とそのとき洋子はいった。
「外食は栄養が偏りがちだから、できるだけいろいろな種類のものを食べるようにしてね。お酒を飲む人は、肝臓を保護するために、特に蛋白質が必要なのよ。それから、新鮮な生野菜をたっぷり食べて、ビタミンCを十分にとること」
などと、栄養士みたいなことをいったりもした。
「だから、栄養のバランスをとるために、君のところに行っているじゃないか」
祥一は冗談混じりに応えたものだった。
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洋子は、化粧の仕方が上手であるように、料理も上手だった。訪れるたびに、スキヤキなど、何らかの肉料理をご馳走してくれる。韓国料理も作ってくれる。これがリバーの肉料理に劣らず旨かった。
レタスなど、生野菜もたっぷりある。季節毎の果物も用意されている。自分は酒も煙草もまったくだめなのに、彼のためにビール、それに煙草も灰皿も用意されている。何から何まで気のつく女で、そのたびに、彼は、自分に注がれている洋子の愛情の深さを感じずにいられない。
「一週間にいちどぐらいではだめよ。毎日のように食べなくては」
ともそのとき洋子はいった。週に、二度でも三度でも、わたしのところにいらっしゃい、という意味にもきこえた。
彼は、黙っていた。
二度でも、三度でも、行こうと思えば行けた。いや、行きたい気持になることはよくあった。さらにいえば、保谷のアパートで同棲しようと思えば、洋子はそれも拒まないだろう。大学から遠くなるにせよ、一緒に住んでいる方が、掃除、洗濯等の手間も省けて、彼には便利である。それに、二人で住んでいる方が、寂しさも紛れる。洋子はむしろ、一緒に住むのを望んでいるかも知れない。
しかし、そうしたい気持を制するものが祥一の中で働く。洋予に対する自分の気持がはっきりしていないせいだが、それは、自分の道がはっきりしていないところがらくる。結婚も可能だとは思えない。
はっきりしないまま、ずるずると洋子と親密の度を増して行ったら、彼女を不幸にするだけのような気がする。本当をいえば、道ができてから歩いて行くのではなく、歩きながら道を作って行くものであろう。不幸になるか、幸福になるかも、二人の努力次第であろう。彼は、自分を優柔不断な人間だと思った。
優柔不断な気持のまま洋子との関係を続け、友達とも恋人ともつかないつき合いが続いている。いや、実質的にはすでに恋人も同然の関係になっているわけだが、恋人という意識を排除しようという気持さえ祥一にはある。洋子に夢中になれないというより、夢中になってはいけないという気持がある。
その前に、しなければならないことがあるように気がしている。では、しなければならないことは何なのか。強いていえば、生き方を見定めるといったたぐいのことだが、これもまた、本当をいえば、生きながら考えるべきものであろう。
1984年9月7日4面 |