アンドレー・ランコフ(国民大学招聘教授)
今年の夏、7-8月が過ぎながら, 北韓の対米・対南政策は180度変わりました。ほぼ1年間特別な理由なしに緊張を高めるため努力してきた北韓が、突然多くの譲歩をし始めました。開城工業団地で積極的な態度を示し、金剛山と開城観光の再開に合意しました。
しかし、これは急なことではありません。去る1年間、北韓はもう一度「崖っぷち外交」、「危機外交」を試みました。北韓政権は一応外部の関心や譲歩を引出すための初期段階として緊張を高め、このためミサイル発射や原爆実験など、あらゆる威嚇手段を動員します。
危機がある程度高まれば、次の段階に移ります。次の段階では、逆に「和解の手」をのばして会談場に出る意思があることを見せるのです。そして、最後の段階で北韓外交官たちは、彼らが作った危機を緩和する条件で、国際社会から経済的援助と外交的譲歩を得ます。今、北韓は明確に第2の段階、すなわち会談を主張する段階です。
平壌側はこのような外交戦術を何度も利用しましたが、今回は効果がそう大きくないと思います。北韓は、韓国の国内政治を客観的に評価できないように見えます。
北韓側の最大の誤判は、南韓社会の北韓への関心を過大評価したことです。北韓の言論を見れば、南韓の人々は昼夜なしに北韓の政策、金正日の政策に対して心配しながら生きているようです。しかし残念ながら南韓はそうではありません。去る10年余りの間、北韓は南韓の人々の関心からどんどん遠ざかりました。もちろん、南の人々も危機を歓迎しません。ただ、彼らは北韓の続く挑発に最早あまり気を遣わないということです。こういう現象にはいくつの理由があります。
まず、「南北交流」は決して平等な交流でありません。南北交流のため南側がお金、技術、資源を北側に与えているため、事実上協力でなく対北援助に近いです。
北韓は、去る1年間、開城工団を閉鎖すると脅かしました。ところが、この威嚇はそれほど大きな圧力手段になれませんでした。南韓が開城工団を通じて得るものがほとんど無く、公団事業そのものは韓国経済の規模から見れば微々たるものだからです。
二つ目、北韓の戦争威嚇を深刻に思う人々がほとんど残っていません。私はソウルでおよそ20年住みながら、南韓国民の意識変化を観察できました。1990年代の初め、1回目の北韓核危機の時は、北側が威嚇を始めれば人々は気を遣いました。食料品の買い溜めをするなど動揺がありましたが、この頃は全くそうでありません。ある程度北韓の威嚇を無視するようになりました。
そして、こういう理由などから、私は今回の「危機外交」を通じて北側が韓国から得られるものがそう多くないと予想しています。
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