洋子から手紙を受けとったのは、木曜日だった。土曜日というと、あさってである。
土曜日は会社の仕事は半日で終る。会社から直接自分のところに寄ってみたいということなのだろう。
洋子の手紙を読み終ったあと、彼はふと、洋子がこの部屋に来るのは構わないのだろうか、とちょっと気になった。家主の奥さんは、どうも、アパートに女性が訪れるのを喜ばない気配が感じられたのである。
「ただ、念のためにことわっておきまずけれど、ご兄妹の方は別ですけれども、女性と一緒にお住まいになるのは遠慮していただきたいんです」
引越してきて最初の日、奥さんはそう釘を刺した。
「独身者向きのアパートですし、トラブルがあったりすると困るものですから」
とも奥さんはいった。兄妹ならいい、しかし恋人とかの同棲は困るということであろう。もともと祥一は、そのアーパートで、たとえば洋子と同棲するなどは考えてもいなかったから、奥さんの申し出にはべつに異存はなかった。ただ、奥さんが口にした「トラブル」の意味がわからなかった。
家主の奥さんにそんなことをいわれたと、ある日岡田に洩らしたら、岡田は笑いながら、
「金さんもいわれましたか。じつはぼくもいわれたんです。それも、ついニカ月ほど前です」
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岡田の部屋のF房室の、さらに隣りのE居室のある住人が、大学卒業後、会社に勤め出してからもそこに住んでいた。ある日から、その住人は女性と同棲しはじめた。同棲といっても、女性の方から押しかけてきて、強引に一緒に棲(す)みはじめたのだという。
E房室の住人は困惑した様子だったが、さらに困惑したのは家主の奥さんだった。独身者向き、というより学生向きの簡易アパートだけに、そういう事態が生ずるとは予想していなかったらしい。
「ある日、二人がいい争いをはじめたんです。そりゃあもうえらい剣幕でした」
女性の剣幕が凄かった、と岡田はいった。
「あたしを何だと思っているの」
「誠意を示して頂戴」
女性は、アパート中に響く大きな声で男に詰めよっていたという。
その出来事のあとしばらくして、E居室の住人は女性とともにどこかに引越して行った。バツが悪くなったのだろう。
E号室の住人が引越して行くと、家主の奥さんは、各部屋を回り、
「このアパートは独身者用のアパートですので、結婚された場合は契約を解除させていただきます」
そういったのだそうだ。
「同棲」とはいわずに「結婚」といい、「出て行っていただきます」とはいわずに「契約を解除させていただきます」という-奥さんらしい表現だと思った。
そんなことがあったと岡田は教えてくれたのだが、しかし、奥さんは、女性が訪問してくることまで禁じているわけではあるまい。現に、祥一は、引越してきていらい、一階のある部屋の住人の許に、女性が二、三度訪問してきたのを目撃している。
彼は、取り越し苦労だと、自分をわらった。洋子との関係がただのものでないにせよ、この部屋でそんな行為に及ぶつもりは彼にはない。しっかりした壁のアパートではない。行為に及んだ場合、洋子の歓びの声が隣室の岡田の耳に届くことは充分に考えられた。ただ部屋を見にくるだけだ、それぐらいは構わないだろう、と彼は自分の懸念を打ち消した。
1984年8月21日4面掲載 |