それから、作品の題名は忘れたが、ある日の古文の時間に、男女が小魚の干物を、両端から同時に食べる件(くだり)が出てきたことがあった。
どういう意味の行為なのだろうと、祥一が解しかねていると、接吻のことだと教師は講釈した。
祥一は意外に思った。それまで、彼は、接吻という行為は、戦後アメリカから輸入されたものだとばかり思っていたのだ。そうか、昔の日本の男女間にも、接吻という行為一はあったのか、などと頓馬(とんま)な感慨に耽(ふけ)つたのを憶(おぼ)えている。
要するに、高校生の祥一は、文学作品は受験勉強のひとつとしていくつか読んだだけで、積極的な関心はほとんど寄せていなかった。微積分の問題を解いている方が面白かった。
向かいの客の一人が、店のあるじに、ビールと、それから肴(さかな)を二つ三つ、さらに注文した。伊吹は、顔をうつ向け、黙ったまま酒を飲んでいる。
祥一は、酒をさらに二本注文した。伊吹が黙っているので、祥一は煙草に火をつけ、自分の想念を続けた。
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祥一は、いつかの化学の先生の講演を思い返した。定年退職に際しての、別れの挨拶を兼ねた特別講演だったのだが、そのとき先生は、学者になるためには、安定した家庭環境に育つことが必要条件である、と率直に話した。学者生活を続けるためには、安定した精神が必要であり、安定した精神は、安定した家庭環境に育つことによって生まれる……。
技術者か、できれば研究者、つまり学者になりたいという希望を持っていた祥一は、先生の言葉が、自分に向かって発せられたような気がした。
<<だから、金君のような人は、学者には向かない>>
そういっているように思われた。
自分の育った家庭は、安定した環境なんてものではなかったし、いまだってちっとも安定していない。そのせいか、自分の精神もちっとも安定していない。得体の知れない空さ、やりきれなさが胸の内にわだかまっていて、じつに不安定に浮き沈みしている。
祥一は、先生の言葉を本当だと思った。むしろ、自分が漠然と感じていたことを、先生は的確に表現してくれたような気がした。まったく、夕暮れの空を見ただけで、疼(うず)きにも似た辛さの感情にみまわれるたぐいの人間に、静かな学究生活が勤まるとも思えない。
自分が、少なくとも学者への道を自分の中からはっきりと排除したのは、あの先生の講演がきっかけになっているように、いまの祥一は思う。
「ところで、君はどうして法学部に進んだんだい。お父さんが医者をしているんなら、医学部に入ってよさそうなものじゃないか」
しばらく黙り合って酒を飲んだあと、祥一は、あるじが差し出してきた二本の銚子のうち、一本を手にとって、伊吹の盃に注ぎながらきいた。貨物列車が通りかかり、椅子の下からの地響きがひとしきり強く伝わってきた。
「医者なんか、詰まらねえ」
貨物列車が通りすぎたところで伊吹はいった。酔ってきているとみえ、口調が常よりもさらにぶっきらぼうになっている。しかし、伊吹の顔色は、常よりもいくぶん青味がかっている。
「弁護士にでもなるつもりかい」
弁護士になるには、まずその風釆の是正を図らねばならないなあ、などと思いつつ、祥一は冗談混じりにきいた。
1984年8月7日4面掲載 |