趙甲済
「私は、この時代の大韓民国の時代精神、即ち経済興しと国民統合を通じて、先進一流国家を建設しろとの召命を受けて大統領に当選しました。」
李明博大統領の今日(6月15日)のラジオ演説の一部分だ。「国民の統合」という言葉を使わない政治家はいない。彼らの行動はほとんどが国民の分裂、国家の混乱であるのに、言葉は「国民統合」だという。今まで、李明博大統領とハンナラ党の行態を観察して見ると、彼らが考える「国民統合」とは、ならず者勢力に対する屈従か駆け引きだ。法の原則と国家の権威を犠牲にしてまで、不法・暴力勢力のご機嫌を取ろうとする。
「国民統合」の対象から除外すべき人々-犯罪者や反逆者らまでを抱擁しようとするから、国民の分裂と国家の混乱へと進んでいる。「国民の統合」をやろうとすれば、統合の基準が必要だ。その基準は憲法と法律だ。共同体の規範である憲法に同意する人々だけで統合するものであって、反対する人を統合するのはできない。大韓民国の憲法に同意しない金正日集団や日本人を相手に「国民統合」を推進できるのか?
経済的な疎外者、貧しい人、障害者、苦しむ人々は統合の対象だ。こういう人々と金正日追従者、反大韓民国勢力を混同して全てを抱擁しようとするのは、地獄と天堂を統合するというのと同じだ。不可能なことを偽善的な言葉の遊びで済ませようとすると、必ず混乱が生じる。「国民の統合」をやろうとして、「国家の分裂」を招いた李明博大統領は、「国民の統合」という言葉を、「法治の確立」の上にたてなければならない。
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