伊吹との会話では「です」調がだいぶなくなっているのに、岡田の方は相変わらず几帳面に「です」調で話しかけてくる。祥一のことを「金さん」と呼ぶ点は同じだが、会話になると、
「今日はいい天気ですねえ」
「いい天気だね」
「梅雨はもう明けたんでしょうか」
「新聞によればまだのようだよ。ここんところの好天気はただの中休みにすぎないらしい」
といった調子になる。
留年二年目だというから、年齢は祥一と同じのはずである。学年が下だということが、岡田をしてそういう口調にさせるのだろうか。それとも、岡田は伊吹のようにぶっきら棒ではなく、丁寧な人間だということか。
引越してきたとき感じたように、じっさい岡田は伊吹にくらべ、格段に人なつっこい男だった。伊吹はいま「単純な人間」といったが、祥一には、むしろ、「無邪気で愛すべき人間」という表現が浮かぶ。特に祥一がびっくりさせられたのは、引越してきた日の晩に岡田に恋文を見せられたことだ。ノックの音がしたのでドアを開けてみると、岡田が立っていた。いったん岡田の部屋に納めて貰った蒲団袋を開け、蒲団を分けて自分の部屋に運んでまもなかったので、まだ何か岡田の部屋に残したままのものがあるのかと祥一は思った。だがそうではなく、
「荷物の整理でお忙しいでしょうが、ちょっといいですか」
と岡田はいった。
「ええ、どうぞ。散らかってますけど」
部屋の中央のテーブルに差し向かいに坐った岡田は、
「引越しって厭なものですねえ。手間がかかるだけで、生産的な意味が何もない。ぼくも引越しは何回かしましたけど、そのたびにうんざりさせられたものです」
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つまり、岡田は、退屈なのでやってきたんだろうか。
「ここに引越してきて、どのくらいになります?」
「半年とちょっとです」
「伊吹さんは?」
「入学したときからここに住んでいるそうですがら、二年余りになりますね」
ただの雑談にきたのかと思っていたら、やがて岡田は背広の内ボケソトから一通の手紙を取り出し、照れ臭そうな笑いを浮かべながら、
「昨日届いたんです。読んでみてくれませんか」
と祥一に差し出した。
封筒の裏には、宇都宮の住所と女性の名前が記されている。名字が違うから、岡田の母ではない。
「誰からの手紙ですか」
「高校時代の同級生です」
「友達ですか」
「ええ、まあ……」岡田は曖昧にいって、「いま宇都宮で銀行に勤めています」
読んで下さいとはどういうことなんだろう、と祥一は怪訝(けげん)に思いつつ、とにかく封筒から手紙を取り出して読みはじめた。便箋三校の手紙だったが、岡田の近況についてたずねたり、自分の生活ぶりについて書いた文章が続いたあと、最後に、
「好きよ、好きよ、あなたが大好きよ」
という文字が目につき、
「あなたの由理より」という言葉で手紙は結ばれていた。
ラブレターではないか。引越してきたばかりの晩、初対面の自分に岡田はこういう手紙を見せている。祥一は応えるべき言葉に困って、しげしげと岡田の顔を眺めた。
1984年7月21日付 4面掲載 |