李東馥
2008北京夏季オリンピックの閉幕の翌日の8月25日、ソウルを訪問した胡錦濤中国国家主席と李明博大統領は青瓦台での韓・中国頂上会談の後、「北核事態の解決のために6者会談の枠組み中で、早期に非核化の2段階措置の全面的でバランスの取れた履行を促進させることに合意した」と発表した。だが、この合意はむなしい合意だった。次の日の8月26日、北朝鮮が6者会談の枠組み中で「非核化の2段階措置」の核心として寧辺所在の核施設を対象に進行中だったいわゆる「不能化」(北側表現では「無力化」)作業を一方的に「中断させる」という「自殺爆弾」(?)をまた爆発させたからだ。
政界や学界および言論界の「親北・左派」性向の人々は、今回の北朝鮮の措置に対しても北朝鮮の立場を庇護しようと頑張っている。一方では、「米国から譲歩を引き出すための典型的な北朝鮮式交渉術」とその意味を縮小しながら、他方では、さりげなく「米国の責任論」を匂わせて、それとなく米国側の譲歩を促す反応を見せている。だが、彼らのこのような反応には深刻な誤りがある。26日の北の外務省声明は、北京の「6者会談」がこれ以上前に進めない絶壁にぶつかったことを見せてくれたという事実を無視することだ。米国と北朝鮮は、「6者会談」で一つの「核問題」でなく、互いに間隙が埋められない二つの違う「核問題」を持って話しているという事実が明らかになったためだ。
米国が「6者会談」で解決しようとした問題は、「北朝鮮の非核化」だ。だが、米国が「6者会談」で「北朝鮮の非核化」でなく「韓(朝鮮)半島の非核化」という表現を受け入れたことは致命的な誤りだった。米国はこの表現を受け入れたのは、米国が考える「非核化(denuclearization)」の概念が「非核国家の核保有を阻止し、核兵器の拡散を防ぐこと」だったためだ。ところが、米国はすでに韓国からすべての核兵器を撤去(1991年)し、大韓民国は核兵器の保有はもちろん、開発もしていないから、「韓(朝鮮)半島」での「非核化」の対象は、当然「核兵器を開発しているだけでなく、すでに開発、生産して保有したと自ら宣言した北朝鮮」であるしかないと考えたのだ。したがって、米国は「韓(朝鮮)半島」の「非核化」と表現しても、「非核化」の対象は「北朝鮮」に限定されると錯覚したのだ。
しかし、北朝鮮の考えは違った。北朝鮮が実際に「6者会談」を通じて達成しようとする目標は、「北朝鮮の非核化」でなく、「韓(朝鮮)半島」の「非核地帯化(nuclear free zone)」であった。「非核化」と「非核地帯化」は相反した概念だ。「非核地帯化」は、「非核化」とは違って「一定の地域」(「非核地帯」)内での「核保有国家」らの特定の軍事的「核活動」を「統制」する活動だ。常識的には、韓半島の場合、「非核化」の行動主体は「北朝鮮」だが、「非核地帯化」の行動主体は、「北朝鮮」と「米国」(そしてもしかしたら「韓国」も)になる。「6者会談」で北朝鮮は、「非核化」という表現の使用を受け入れながらも、地域を「北朝鮮」でなく、「韓(朝鮮)半島」と表記する表現を貫徹したことで、実際には「6者会談」の席上で「北核」問題を、「北朝鮮の非核化」でなく、「韓(朝鮮)半島」の「非核地帯化」の次元で議論することを主張できる論拠を確保するのに成功したのだ。
北朝鮮のこのような協商戦術は新しいものではない。1991-92年、南・北韓が「非核化共同宣言」に合意した時も使った常套的な戦術だ。1991年、北朝鮮は韓国の「韓半島非核化共同宣言」の提案に対して、「朝鮮半島非核地帯化共同宣言」を提案して対抗し、終盤にこれを撤回して韓国の「韓半島の非核化共同宣言」の採択に合意した。しかし、北朝鮮は翌年(1992年)の「南北核統制共同委員会」で、「核査察規定」の作成協商が始まるや、一旦撤回した「非核地帯化」の内容をまた出して、この貫徹に固執して「核統制共同委」を一方的に中断させた。北朝鮮は今回の「6者会談」で1992年の「南北核統制共同委員会」で使った協商戦術を繰り返しているのだ。
今まで、「6者会談」が迂余曲折を繰り返す過程で、米国は知りながらそうしたのかどうかは明らかでないが、北朝鮮が「非核地帯化」の主張を持ち出す可能性を持つ表現である「朝鮮(韓)半島」という表現を受け入れるのを代価として、まず可能なことを先に取る方を選択した。その結果として北朝鮮と米国間には「2007.2.13合意」の1段階と2段階措置が履行され始めた。まず北朝鮮が寧辺のプルトニウム関連施設と物質を「閉鎖・封印」する代わりに、米国の方は韓国が重油5万トンを提供する1段階の措置が履行された。続いて北朝鮮が「閉鎖・封印」した寧辺の核施設と物質を「不能化」させ、「核申告書」を提出する代わりに、米国が95万トンの重油と50万トンの食糧を支援することに加えて、北朝鮮に対する「適性国交易禁止法」の適用を解除し、国務省の「テロ支援国」の名簿から北朝鮮を削除する手続きをとる2段階の措置が履行され始めた。
だが、「2007.2.13合意」の2段階措置は、北朝鮮と米国の同床異夢から初めから失敗が予告されたものだった。北朝鮮は2段階期間中、11の対象施設の中8に対する「不能化」を履行し、その一環として寧辺所在の5MW/e黒鉛減速炉の冷却塔を爆破した。北朝鮮は、また18,000ページ相当のプルトニウム生産関連記録を米国に渡し、60ページの「核申告書」を「6者会談」の議長国である中国に提出した。一見括目に値する進展だった。しかし、このような北朝鮮の措置には北朝鮮なりの計算が隠されていた。つまり、北朝鮮が取る2段階措置は、徹底して「寧辺所在のプルトニウム関連施設」に限定するということだ。これに対する代価として、米国から「適性国交易禁止法」の適用終結と、「テロ支援国」指定解除を引き出すというのが北朝鮮の計算だった。北朝鮮の立場では、すでに事実上用途が終った死んだ施設である寧辺の核施設を捨てる代わりに実利を取るという死馬の骨を売る作戦だった。
だが、米国には米国の計算があった。米国はまず寧辺所在の核施設の「不能化」と北朝鮮からの「核の申告」を確実に取る道を選んだ。北朝鮮が、特に「使用済み核燃料再処理施設」(「放射化学実験室」)を含んで、その間「不能化」させた8つの寧辺地域の核施設を復元して再稼働するためには、1年以上の時間が必要になったいうのが米国の計算だ。北朝鮮の「核申告」内容は、当然寧辺所在の核施設と核物質に限定されていたが、ひとまず北朝鮮が提出した「核申告」の内容を手に握った米国は、秘蔵の宝刀を取り出した。「検証(verification)」がそれだった。米国は、「検証」を通じて、「申告書」に含まれた寧辺所在のプルトニウム関連事項の真偽だけでなく、北朝鮮が「2005.9.19共同声明」と「2007.2.13合意」、そして「2007.10.3合意」で「申告」すると約束した「すべての核兵器」と「すべての核プログラム」が、果たして「申告書」に網羅されたかの可否を明らかにしたいという立場である。
特に、①北朝鮮がすでに製造し保有している核兵器(もしあるならば)と、②米国が疑惑を持っている「高濃縮ウラニウム」(HEU)問題、および③シリアやよびイランとの核協力疑惑は全部「申告」の対象というのが米国の立場だ。したがって米国は北朝鮮が提出した「核申告書」に対する「検証」を通じてこのような三つの事項を確認するという立場だ。このため米国はこのような立場を貫徹させられる内容の「検証議定書」に合意することを「時限付き」で北朝鮮側に要求した。このために米国が設定した「期間」は45日間だった。この45日間は北朝鮮が6月26日の「核申告書」を中国に提出したことで、米国務部が議会に通報した北朝鮮に対する「テロ支援国」の指定解除の決定が発効されるのに必要とされる最小限の時間だ。
この期間中、議会が反対の立法をしない限り、問題の対北朝鮮「テロ支援国」の解除決定は発効することになっている。ここで議会の反対立法なしでこの時間が経過すると、対北朝鮮「テロ支援国」指定解除の決定が「自動的に発効されるもの」なのか、でなければその決定を「発効させる条件が充たされること」なのかに関して両論が提起された。米国政府は議会の反対立法なしで45日が経過しても北朝鮮が米国が受容できる「検証議定書」に合意するまで問題の解除決定を発効させないことに方針を整理した。45日が経過した8月11日まで、北朝鮮は米国が望む「検証議定書」に同意しなかった。米国は8月11日が経過したが対北朝鮮の「テロ支援国」指定解除の決定を発効させなかった。
米国の立場は、北朝鮮が提出した「核申告書」は「検証」なしでは信じられないということだ。「すべての核兵器」と「すべての核プログラム」に対する北朝鮮の「申告」の義務は、「申告」内容の「完全性」と「正確性」に対する「検証」に必要な「検証議定書」を北朝鮮が受け入れてこそ充たされるということだ。北朝鮮外務省の26日付の声明は、形式的にはこのような米国の立場に対して反発するものだった。北朝鮮は、「核申告書提出」という2005年9月19日付の「共同声明書」の「2段階」の義務事項を北朝鮮が履行したのに、米国は「北朝鮮をテロ支援国名簿から除去する」という約束を履行しなかったことで、「行動対行動」の原則を違反したと主張した。北朝鮮は対応措置として「行動対行動」の原則によって、①「進行中だった核施設の無力化(不能化)作業を直ちに中断」し、②「寧辺所在核施設らの『原状回復』を考慮」と宣言したのだ。
だが、26日付の外務省声明で、北朝鮮は「6者会談」を通じての北核問題の解決展望を暗くする、より根本的な問題を取り上げた。北朝鮮はこの声明で、今まで「6者会談」の席ではたまに取り上げたが、公開的には取り上げなかった北朝鮮の内心を濾過なしに示した。すなわち、北朝鮮は北核問題を「北朝鮮」の「非核化」でなく。「韓(朝鮮)半島」の「非核地帯化」として扱っているということを明確にしたのだ。「われわれが朝鮮半島を非核化しようとするのは、わが民族に対する核脅威を除去するためであって、決して核抑制力を駆け引きしようというものでない」という件と、「検証に対し言うなら、『9.19共同声明』により全朝鮮半島を非核化する最終段階に行って6者の皆が一緒に受けるべき義務」という件がそれだ。外務省声明は、北朝鮮がいう「検証」は「南朝鮮とその周辺に米国の核兵器がなく、新しく搬入されるか通過もしないということを確認する検証が、われわれの義務履行に対する検証と同時に進行されるもの」と敷衍した。「非核化」でなく、「非核地帯化」である。
もし、このような北朝鮮の主張が受容されると、「6者会談」は実質的には「難破船」の境遇を免れなくなるのが明らかだ。こうなると、「6者会談」ができることは、「空っぽ」に過ぎない寧辺地域の核施設を、それさえも北朝鮮が「申告」した内容を持って「検証」誌、「管理」することに過ぎなくなる。北朝鮮の下心は、とんでもなく自ら「核抑制力」と呼ぶ核兵器の保有可否に対し、事実上「核保有国」に準ずる地位を享受できるほどの「曖昧性」(ambiguity)を維持しながら、いつでも必要によりこれをカードとして使って、恐喝し脅迫することで、米国と韓国、そして国際社会から北朝鮮が望む政治・経済的譲歩を喝上げする「崖っぷち外交」(brinkmanship)を無制限反復駆使するということだ。
北朝鮮が論取り上げ論じる「非核地帯化」は、米国と韓国はもちろん国際社会が決して受容できないものだ。北朝鮮が意味するのは、寧辺の「ゴミ」は捨て、残りの「核能力」は、米国の「対北朝鮮敵対視政策」が北朝鮮を満足させる内容で終息するまで維持するということだ。ここで重要なのは北朝鮮がいう「対北朝鮮敵対視政策の終息」が何かということだ。結論的に北朝鮮が要求する「対北朝鮮敵対視政策の終息」は、「韓・米安保同盟」の解体を意味する。窮極的に、①韓-米相互防衛条約の廃棄、②韓-米連合作戦体制の解体、③韓-米連合司令部の作戦計画-5027の廃棄、④韓-米合同軍事訓練の廃止などを内容とする「米-朝平和協定」の締結要求を含んでいるのだ。これに加えて、北朝鮮は北朝鮮を作戦半径の中に置く米国の世界的核戦略の修正を要求している。26日付の外務省声明の「南朝鮮とその周辺に米国の核兵器がなく、新しく搬入されたり通過もしてはならない」という件がまさにそれをいう。
8月26日付の北朝鮮外務省声明で「6者会談」が直面することになった問題状況は、北朝鮮が今や公開的に北朝鮮が「申告」した寧辺の核施設以外の対象に対しては米国が北朝鮮の「非核地帯化」を受け入れるまで一切の「検証」を受け入れず、その時になって「検証」をするならその「検証」は「北朝鮮」の「非核化」でなく、「韓(朝鮮)半島」の「非核地帯化」の概念に立って受け入れるという立場を闡明したということだ。北朝鮮がこのような立場を保つ限り、「6者会談」は進展はもちろん、再開自体が不可能だ。これで「6者会談」は、「2007.2.13合意」の「2段階」を卒業することが事実上霧散した。まず、問題は「不能化」作業だ。本来「6者会談」で合意した「不能化」の時限は昨年の12月末だった。この期間が今年10月末で延びたのに、この時限も守ることが事実上不可能になった。そこに加えて、26日付の北朝鮮外務省声明で北朝鮮が提出した「核申告書」に対する「検証議定書」の交渉の道が封鎖された。
しかも、いま米国は本格的な次期大統領選挙期間に入る。民主党はすでに全党大会を開いて、バラク・オバマ(大統領)-ジョセフ・バイデン(副大統領)のチケットを出帆させ、共和党はまもなく全党大会を開いてジョン・マケイン(大統領)サラ・フェイリン(副大統領)のチケットを出す予定だ。ここで注視すべき問題がある。民主-共和両党が「外交的解決」を標ぼうしたものの、皆大統領選挙公約で北核問題に関して非常に強硬な立場を採択しているということだ。民主党の大統領選挙公約は「北朝鮮の核兵器プログラムに対する検証可能な終息」と共に「今まで北朝鮮が生産したすべての核分裂性物質と武器に対する完全な説明」を強調している。共和党の大統領選挙公約はより強硬だ。「米国は北朝鮮の核拡散活動に対する十分な解明と共に核プログラムに対する完全で、検証可能で取り返しがつかない解体要求を撤回しない」というものだ。
このような状況で、残った任期が4ヶ月余りに過ぎないブッシュ行政府が北朝鮮の無理な要求を受容できる余地はない。したがって、ブッシュ行政府は「北朝鮮が先に核申告の検証体制に合意してこそ『テロ支援国』指定を解除する」という原則を再強調している。ホワイトハウスのトニ・プレト代弁人は、26日「北朝鮮が先に核申告内訳の検証体制に合意して約束を履行してから米国は『テロ支援国』の名簿から北朝鮮を削除するだろう」と力説し、北朝鮮の核施設「不能化」中断措置に対する「譲歩不可」の意志を明確にした。
これにより「6者会談」の再開は、北朝鮮の立場に変化がない限り、早くても来る11月の米国大統領選挙後に延ばされたと見てこれに備えるのが正しい。ここで確認しておくべき事実は、新しい「6者会談」の膠着状態の長期化で必ずしも北核事態が悪化するのではないということだ。26日の外務省声明で北朝鮮は、「閉鎖」され、「不能化」された寧辺地域の核施設の「原状回復」を脅迫した。しかし、北朝鮮のこのような脅迫はむなしい。「再処理施設」を含んで今まで「不能化」された寧辺の核施設を、「原状」へ「復帰」させ「再稼働」するためには11ヶ月以上の時間が必要とされるからだ。
米国をはじめとする他の「6者会談」参加国らの26日の北朝鮮外務省声明に対する反応が意外に余裕がある理由がここにあるようだ。8月31日付の週刊誌「中央Sunday」に掲載された「インタビュー」記事で、「6者会談」の韓国側首席代表である金塾外交通商部の「韓半島平和交渉本部長」は、北朝鮮が8月14日「不能化」作業を中断させこれを米国に通知した時、韓国政府も「同時に」状況を把握したと主張し、26日以前に問題の北朝鮮外務省声明内容を知っていたことを示唆した。彼は、「この措置が望ましくなく残念だったのだが、北朝鮮が自ら発表しないのにこちが出る必要がなかったため」26日までこれを公開しなかったと主張した。
事実がそれなら、25日のソウルでの韓・中頂上会談をの時、李明博大統領と胡錦濤国家主席はすでにこの事実を知っていた可能性が大きい。それにも、二人の指導者は「北核事態解決のために6者会談の枠組み中で早期に非核化2段階の措置の全面的でバランスの取れた履行を促進させることに合意」したと発表した。このような状況は、韓-中両国も今回の事態を大きく危険視しないということを示唆することであり得る。残っりの問題は「6者会談」の軌道離脱が長期化する間、派生する南北関係の同伴膠着状態に韓国がどのように対処すべきなのということだ。
韓国の左派勢力は、そろそろ政府に対して核問題とは別に南北関係の膠着状態を打開するための努力を注文するに違いない。だが、李明博大統領はすでに「韓半島の真の和解と協力のためには北核解決が先決課題」(2007.7.11、国会本会議演説)という立場を明確にしている。「6者会談」が無期限中断している状態で、彼の政府が何か対北政策の新しいイニシアチブを取ることは不可能だ。しかも、7月11日発生した金剛山観光客死亡事件に対する収拾が全くなされていない状況では一層そうであるしか方法がない。[以上]
www.chogabje.com 2008-08-31 14:35 |