「主体思想」26年出現と強弁
旧版の「ML主義」とすりかえる
時代区分にも大変化
「北」の公式“党史”である新版「朝鮮労働党略史』をみてまず気づくのは、61年に出された『朝鮮労働党闘争史』の間における著しいちがいである。
第1に、党史を叙述しはじめた時点が異なる。それに時代区分の仕方にも相当なへだたりがあるのである。『闘争史』が1910年を党史の始発点としているのに対して『略史』は16年後の1926年から筆を起こしており、党史“起源”のずれは必然的に時代区分も変更させている。
このようなずれと変更は何を物語るのか。その中に含まれている問題点を究明する前に、2つの党史が始発点と時代区分をどのように具体的にしているかを、それぞれの目次からみておくことにしよう。
(1)『朝鮮労働党闘争史」
第1章 朝鮮における初期労働運動とマルクス・レーニン主義の普及、朝鮮共産党創建とその解散(1910~1928)
第2章 反日民族解放運動の新しい段階への発展、共産主義者たちによる抗日武装闘争と朝鮮でのマルクス・レーニン主義覚創建のための闘争(1929~1954、8)
第3章 ソ連軍隊による朝鮮解放、朝鮮でのマルクス。レーニン主義党―朝鮮共産党北朝鮮組織委員会の創建(1945、8~1945、12)
第4章 北米部での民主基地創設のための闘争時期における共産党、朝鮮労働党の創建(1945、12~1947、2)
“前史”評価との関連
この後目次は、第5章から第7章までつづく。が、これだけあげておけば、『闘争史』の目安はほぼつくと思われるので、第5章以下は省略する。次の『略史』の目次も、ここでは双方を対比するための便宜を考えて『闘争史』と同じ期間のものだけをあげ、残りは省略する。
(2)「朝鮮労働党略史』
第1章 主体型の共産主義革命家隊伍の形成、革命の指導思想、主体革命路線の確立(1926~1931、11)
第2章 抗日武装闘争を中心に反日民族解放運動の新しい段階への発展、共産主義隊列の組織思想的統一のための闘争(1931、12~1936、2)
第3章 抗日武装闘争を拡大し、反日民族統一戦線運動を全国的範囲で発展させるための闘争、党創建準備事業の全面的推進(1936、2~1940、8)
第4章 祖国光復の大事変を主動的に迎えるための闘争、抗日武装闘争の偉大なる勝利(1940、8~1945、8)
第5章 共産党創建と動労人民の大衆的党、労働党への発展、反帝反封建民主主義革命課題遂行のための党の闘争(1945、8~1947、2)以上限られた目次併記からも、『闘争史』と『略史』の顕著な相違が明確に浮かび上がる。第1は、冒頭で述べたごとく党史の始発点が違うことであり、これは金日成出現前史ともいってよい、わが民族の初期反日民族独立運動、「3・1独立運動」、20年代における労働・農民運動の発展とマルクス・レーニン主義の普及および「朝鮮共産党」結成と解散など一連の運動をどのように位置づけ、評価するという問題と密接な関係をもっている。
量的にも相当の開き
このような問題意識のもとに2つの党史を比較すれば、それぞれの違いがよりクッキりする。量的な面からみると、『闘争史』が先に述べた一連の運動にさいている分量は、29ページ。一方の『略史』はわずか10ページ、約3分の1の分量しか、この問題に使っていない。
近代史をひもといたことがある人ならば、各分野におけるこの時期の抗日独立闘争がわずか29ページで整理できるほど簡単なものでないことは容易に理解できる。こういう意味では、「闘争史』編さんの姿勢も厳しくただされなければならないのである。それなのに、『略史』にいたってはたった10ページ。金日成個人神格化のための歴史改変作業とはいえ、余りのことといわざるをえない。
しかし、それだけではないのである。『略史』は1910年代から20代後半にかけて展開された一連の運動・闘争を軽視、矮小化しているばかりか、後述する誇張された金日成抗日武装遊撃隊より何倍もの犠牲を出し、敵に何倍も大きな打撃を与えた抗日義兵闘争の伝統をつぐ満州における独立軍の活躍などを完全に抹殺している。
金日成ひとり舞台に
これらの史実抹殺などで紙数をうかした分で、いやその何倍もの量を投入して、『略史』は金日成の“革命闘争”を誇張する作業を進めていく。その典型ともいうべき1例が第1章である。1928年、16歳の金日成はもはや「主体型の共産主義者」になった。ばかりではなく「偉大な主体思想を創始」し、この“思想”をもって「新しい時代の共産主義者たちを固く武装」させるにいたったというのである。そして、ひきつづき第3節ではこの時代に金日成が「創始」したとされる「主体思想」の“体系”が「国陋な民族主義者たちと世渡り式マルクズ主義者との鋭い思想闘争の中で創造された」とまでいっている。
この主体思想」創造の欺瞞性については後に詳述するので、ここでは言及しないことにする。それにしても、「主体思想」がこの時期に「創始」されたというのは笑止である。わずか16歳の少年がつくったと強弁していることの愚かしさはさておくにしても、わずか十数年前に書かれた党史・『闘争史』では一言もふれていない事実をこの時期に突然持ち出すとは正気の沙汰とはいえまい。『闘争史』では「マルクス・レーニン主義の普及」や「マルクス・レーニン主義」での「武装」はいっているが、「主体思想」には全く言及していないのである。
『略史』の詐術性はここの例をみるだけでハッキリするが、これで『略史』が『闘争史』より党史の“起源”を16年くり下げ、1926年から叙述を開始した底意を理解できよう。「北」は、金日成の「唯一」・絶対性をさらに押し進め、「北」労働党史をも金日成ひとり舞台のものに仕立てあげようとしているのである。
鄭益友(論説委員)
1980年5月8日 4面掲載 |