ログイン 新規登録
最終更新日: 2024-11-19 12:39:03
Untitled Document
ホーム > アーカイブ > 小説
2008年10月19日 00:00
文字サイズ 記事をメールする 印刷 ニューススクラップ
 
 
序曲(11) 金鶴泳

 川瀬に導かれて行ったのは、店から一分そこそこのところにある喫茶店だった。川瀬は、店のいちばん奥の、あたりに客のいない席に祥一と母を導いた。
「純子さんが家出をしたんですか?」
 席に着くと川瀬はまだ信じられないという顔つきでいった。
「部屋の中のものがおおがたなくなっているんです。家出したとしか考えられないんです」
 三日前の、純子に対する父の仕打ちのことは省いて祥一はいった。
「川瀬さんがこの前純子に会ったのはいつですか?」
「三日前です。純子さんと一緒にお茶を飲みました」
 悪びれもせずに川瀬はいった。どうやら素直な青年のようだった。職業柄のせいか、物腰も言葉づかいも丁寧である。
「純子の行き先について、心当りはありませんかね」
「さあ、そこまでは……」
 川瀬は首をかしげながらいった。
「それにしても、どうして家出なんかを……」
 川瀬も解しかねているようだった。クラシック喫茶で、シューベルトの「アルペジョーネ。ソナタ」が店内に流れていた。祥一の好きな曲である。祥一の耳はついそっちの方に行きがちだった。
「大体、あんたと純子はどういうつき合いだったん?」
 母が険しい声でいった。


「どういうつき合いといっても……」川瀬はちょっと考えてから、「ただの茶飲み友達です」
「ただそれだけ?」
 母が詰問するような口調でいった。川瀬は母を見据え、「はい、それだけの関係です」
 祥一はもはや川瀬を問い詰める気にもなれなかった。川瀬は正直な青年らしい。そして正直なことをいっているらしい。いくら問い詰めても、川瀬からは何も出てこないだろう。祥一は煙草を吸いながら、むしろアルペジョーネ・ソナタの方に耳を傾けていた。
 三十分たらずで彼と母は川瀬と別れた。
「もし純子さんから連絡がありましたら、私の方でお宅に電話します」
 とさえ川瀬はいった。
 川瀬は本当に純子の行き先について知らないらしかった。彼の方でこんどの事態に驚いているふうで、かつ純子のことを心配している様子だった。
 数日間、祥一は母と共に純子の行方を捜した。美浜町や三方(みかた)町や、さらに今庄(いまじょう)町に住んでいる純子の高校時代の友達を訪ねたりした。しかしいずれも純子の行き先については心当りがなかった。
 母に引きずられるような形で、祥一も一緒に純子を捜し歩いたものの、祥一は当初から純子の捜索には不熱心だった。父の気持が変わらない以上、たとえ純子を捜し当てて家に連れ戻したとしても、それは何の解決にもならない。同じ悲劇が繰り返されるだけだ、と祥一は思っていた。
 だが、その後一カ月たらずで川瀬も店をやめ、行方をくらました。純子から連絡があったに違いなかった。そして、いまは純子と一緒にどこかで生活しているに違いなかった。
 祥一の父はそういう父であり、彼の家庭はそういう家庭だった。しかも、彼は、そういう家庭の長男である。たとえ洋子と結婚したとしても、それが彼女にとって幸福だとは思えない。そんな事情もあって、君と結婚はできないよ、と祥一は洋子にいったのである。

第3192号 1984年7月3日(火曜日)  4面掲載

뉴스스크랩하기
小説セクション一覧へ
金永會の万葉集イヤギ 第30回
写真で振り返る2024年「四天王寺ワ...
李在明・共に民主党に1審有罪
北韓軍派兵に韓国は様子見モード
トランプ氏再選で変わる世界
ブログ記事
マイナンバーそのものの廃止を
精神論〔1758年〕 第三部 第28章 北方諸民族の征服について
精神論〔1758年〕 第三部 第27章 上に確立された諸原理と諸事実との関係について
フッサール「デカルト的省察」(1931)
リベラルかネオリベか
自由統一
北朝鮮人権映画祭実行委が上映とトーク
金正恩氏の権威強化進む
北韓が新たな韓日分断策
趙成允氏へ「木蓮章」伝授式
コラム 北韓の「スパイ天国」という惨状


Copyright ⓒ OneKorea Daily News All rights reserved ONEKOREANEWS.net
会社沿革 会員規約 お問合せ お知らせ

当社は特定宗教団体とは一切関係ありません