日本の古代史は”韓隠し”の学問
「天智朝まで倭国は百済の属国」という説があることを紹介したが、そのことは、『日本書紀』を韓流の視座から新解釈すれば、そのような説が真実の歴史であることが明らかになってくる。まさに衝撃の歴史といってもいい。
従来の日本古代史は、”幻の大和朝廷”すなわちありもしない大和朝廷をデッチあげて、実質的に天智が率いた白村江での会戦における百済救援軍がいかにも巨大な軍事力を有していたかのように論述していることもその一つだが、そのような巨大な王権が神武朝以来、継続されてきたかのように、屁理屈をあれこれこねあげて論述している感が多々ある。
日本の古代史は、新羅(伽耶)系山陰王朝と百済系大和王朝との対立軸で構成されていることを随所で強調しているのだが、新羅系山陰王朝も統一国家ではなく、山陰海岸各地に展開された小国家のゆるやかな連合体であったと考えられる。その盟主的な立場にあったのが、初期では出雲、そして丹波、若狭と力関係が移動していったと考えられる。
一方、百済系大和王朝は、高句麗広開土王に撃破された沸流百済が倭地に避難し、大和に侵寇して唐突に樹立した応神朝からのもので、その王朝は、沸流百済と新羅系山陰王朝の一員であった和珥(王仁)氏との両面王朝であった。それゆえ、とても強力な巨大王朝と言えるものではなかった。
日本史学界は、檀君朝鮮が存在していないという視座から論述しているのだが、金憲銓著・任正雲訳『桓国正統史 東洋上古史の実像・正された韓国史』が述べるように、韓民族は、桓国↓倍達国↓檀君朝鮮と続く9000年の輝かしい歴史を築いてきた。
最近、トルコ南東部で、約1万2000年前の建造物跡が発掘されたということだが、ああ、本当なんだと実感した。というのも、新羅時代の崔致遠が記した新羅史に、トルコ民族と同族の韓民族は、トルコあたりから東進し、インドを経由し、旧満州付近で韓半島に行き着き、中国南部に向かった苗族と同族であると述べているのを、何かの図書で読んだ記憶があるからだ。
また、現在の『万葉集』解釈は、”平安万葉集”であることを、李寧熙著『もう一つの万葉集』や『蘇える万葉集』が明らかにしているのだが、韓国語で解釈した『万葉集』が歴史の重要な証言になりうることを知って、大きな知的衝撃を受けた。
思うにつけ、日本の古代史は、”韓隠し”の学問、学問といえるかどうかはさて置くとして、屁理屈の集大成であると断ずることができる。あたかも、金持ちになった者が、かつての貧乏時代を忘れるどころか、貧乏人を虐める構図と軌を一にするものといってもいい。もっとはっきり言えば、恩を仇で返すということだ。
|