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最終更新日: 2026-02-10 14:33:13
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2026年02月10日 11:00
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幻の大和朝廷109
新解釈日本書紀(続)応神

 時に韓地は、沸流百済の弟格である温祚百済が、倭地の沸流百済を飲み込みにかかるのだが、そのため、韓地百済と倭地勢力の争いが続いたと考えられる。
皇極も沸流百済系倭地勢力によって擁立された大王であったが、朝廷は蘇我蝦夷・入鹿の父子によって牛耳られていたことを明らかにし、その蝦夷・入鹿父子を揶揄する童謡も流行り、非常に不安な世相であったことを浮き彫りにした。
しかし、蘇我蝦夷・入鹿は、乙巳の変で壊滅した。その乙巳の変を主導したのが中大兄王子と中臣鎌子と見られており、その現場を目撃した古人大兄王子は「韓人が殺した」と叫んだ。その韓人を、中大兄王子とするのが通説だが、中大兄王子を韓人と見るのは抵抗が大きいと思われる。
で、中大兄王子は皇極の子ではなく、百済義慈王の子の余豊璋と見る説がある。余豊璋は30年余り倭国に滞在しており、倭国人同様の振る舞いをしてもおかしくない。渡来人の2世3世あるいはその子孫と思われる古人大兄王子が「韓人」と叫んだのは、韓地から渡来した渡来人1世を意味していたと思われ、であれば、余豊璋もそれに該当する。
しかし、余豊璋は韓地に帰り、新羅・唐連合によって滅亡した百済を立て直すため軍事行動を起こしたから、中大兄王子が余豊璋であれば、中大兄王子も消え去るはずだが、後の天智大王となっている。であれば、中大兄王子は、余豊璋の兄弟、あるいは由縁の人物と見るほうが妥当性があるように感じられる。
では、具体的に、中大兄王子に該当する人物がいるのかということに関心が移るのだが、皇極元年(642年)2月2日条に、阿曇山背連比羅夫・草壁吉士磐金・倭漢書直県を百済の弔使のもとに遣わして、その国の様子を尋ねさせた。弔使は、百済国王(義慈王)は私に、塞上(義慈王の弟で当時日本にいた)はいつも悪いことをしている。帰国する使いにつけて帰らせて頂きたいのですがと申し上げても大王は許されまい、といいましたと述べたという記事がある。
その記事を参考に、中大兄王子の実像の候補者として、義慈王の弟の塞上をあげたい。義慈王にとっては都合の悪い弟であったのだろうが、皇極朝にとっては重要視されていた人物と思われるのだ。
とまれ、乙巳の変後、皇極が退き、中大兄王子が大王に就任すると思われていたのだが、中臣鎌子の進言により、天万豊日こと孝徳が大王につき、大化改新の新政が行なわれた。が、朝廷の実権は、中大兄王子に握られていたのであろうと推測されている。

2026-02-11 6面
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