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最終更新日: 2026-02-03 12:42:56
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2026年02月03日 12:41
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新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第108回 伴野麓

 そのため、蘇我蝦夷・入鹿の父子は、頼るべき百済の状況に不安を感じ、保身を考えざるを得ず、その現われが大王としての振る舞いだったと思われる。大王であってこそ、永遠にわが身を保全することができるからだ。
ところが、その野望は、思わぬ形で潰えた。乙巳の変だ。山背王子の斑鳩宮を急襲して、山背王子一族を虐殺するなどして、絶対権力者にのし上がり、すべてを支配していたはずの蘇我入鹿に、慢心のほころびがあったのだろうか。乙巳の変を目撃した蘇我一族の古人大兄王子は「韓人が鞍作臣(入鹿)を殺した」と歎き悲しんだが、その韓人とは中大兄王子を指称するのが通説だということだ。
倭国に滞在していた余豊璋は、蜜蜂の巣4枚をもって三輪山に放ち飼いしたり、騎射の見物を楽しむなどの生活をするかたわら、百済から亡命してきた大佐平の智積に会ったりしていた。蘇我蝦夷・入鹿父子も、その余豊璋一族には一目置かなければならない立場であったと思われる。
中大兄王子が韓人であるとすれば、余豊璋の周辺人物であろうと思われ、余豊璋自身を中大兄王子と見立てる説もあるようだが、余豊璋は百済に帰国しているから、余豊璋の弟あたりが中大兄王子に比定されるのではないかと思われる。
ところで、「帰化人系は無暴であったればこそ韓人が下手人」という偏見に満ち満ちた暴論も見受けるのだが、日本文化は韓地文化の焼きまわしという視座からみれば、大恩を忘却して、豊臣秀吉の朝鮮侵略や明治時代の韓国併合が、そのような暴論の帰結だと思わざるを得ない。

中大兄王子の実像の候補者は義慈王の弟の塞上

伽耶諸国からの渡来人が、出雲や因幡、丹波、若狭などの地で国造りをした。それが、弥生時代と称される時代に該当すると考えられる。後に韓半島が新羅に統一され、伽耶諸国も新羅に吸収されたことから、それら伽耶人によって造られた国々を、新羅系山陰王朝と称している。時には伽耶を強調するために新羅(伽耶)系山陰王朝とも書いている。
400年前後に、高句麗広開土王によって撃破された沸流百済が国をあげて倭地に避難したことから、倭地の様相が激変した。沸流百済は、大和に侵寇して、当時、大和の地の頭領であった和珥氏を篭絡し、和珥氏を前面に押し出して、自らの存在を黒子にし、百済系大和王朝を樹立した。つまり、百済系大和王朝は和珥氏と沸流百済の両面王朝であった。
その両面王朝と、新羅系山陰王朝を構成していた諸氏族との軋轢、葛藤が、その後の大和朝廷で展開され、覇権闘争となるのだが、200年、300年と経るうちに、沸流百済とそれら倭地諸氏族の同化が進み、沸流百済系倭地勢力に変容していくのだ。

2026-02-04 6面
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