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最終更新日: 2026-01-20 16:17:56
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2026年01月20日 16:16
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新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第106回 伴野麓

 第1回の遣唐使派遣は舒明朝とされ、遣唐使によって日本文化が大いに発展したと主張されているのだが、遣唐使以上に、遣百済使、遣新羅使、遣高句麗使が派遣され、日本文化の向上に大いに貢献しているにもかかわらず、それらのことを、日本史学界は黙して語らない。恣意的な”韓隠し”と見るほかない。
百済王子の余豊璋の来倭を人質とみるのが通説だが、実際は、百済、新羅、高句麗の三国が戦乱状態にあり、百済は倭地に王族を避難させて王系を保持したもので、余豊璋の来倭もその一環と見られている。余豊璋は30年間ほど倭地に滞在して帰国し、百済の大王に就任した。弟の善光(禅広)はそのまま日本に留まり、百済王氏として、倭国の発展に貢献した。

沸流百済と新羅系山陰王朝諸氏族が一体化した沸流百済系倭地勢力

推古朝を仏教王朝に仕立て上げたのは、聖徳太子の力量によるものと思われ、聖徳太子の後継者である山背王子が、推古朝を継ぐ正当者であったはずだと思われるのだが、そのような百済一色の仏教王朝であることに不満を蓄積していたのが、息長氏族を初めとする沸流百済系倭地勢力であった。
そのような空気を察したであろう当時の絶対権力者である蘇我蝦夷は、曖昧な態度に終始し、聖徳太子の後継者である山背王子を確信をもって推挙していた同族の境部摩理勢を絞殺させるなど、結果として、当然推挙すべき山背王子ではなく、沸流百済系倭地勢力が擁立する田村王子を推挙することによって、沸流百済系倭地勢力と妥協し、それら勢力を抑え込んだと思われる。それは、沸流百済系倭地勢力と韓地百済系勢力との争いであり、覇権闘争であった。
沸流百済系倭地勢力とは、聞きなれない熟語だと思うのだが、高句麗広開土王(好太王)によって撃破された沸流百済は、397年に倭地に避難し、大和に侵寇して、百済系大和王朝を樹立した。当時、大和は和珥氏一族が蟠踞する地であり、沸流百済はその和珥氏を表に立て、自らは黒子となって、その存在を隠し、朝廷の実権を掌握した。
しかし、その後の大和朝廷は、沸流百済と和珥氏を初めとする倭地勢力の相克の繰り返しとなるのだが、時と共に、沸流百済の韓地に対する影響力が弱まっていき、弟格の温祚百済の力が増していく。一方で、沸流百済は、倭地勢力との婚姻等で融合し、一体化していき、その一体化した勢力が沸流百済系倭地勢力と称するものだ。
それに対して、温祚百済による韓地勢力は、百済聖明王の頃から倭地勢力を飲み込みにかかり、木劦満致からはじまる蘇我氏を送り込んで、倭地の仏教化革命を意図した。その仏教化革命が成功して、推古朝には百済一色の仏教王朝が出現した。そのような仏教王朝に承服できなかったのが沸流百済系倭地勢力だった。

2026-01-21 6面
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