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最終更新日: 2025-12-15 12:00:00
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2025年12月15日 12:00
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幻の大和朝廷104
新解釈日本書紀(続)応神

 その蘇我馬子を牽制し、抑え込む力を持つ唯一の存在は、蘇我馬子を倭地に送り込んだと思われる百済の大王以外には考えられない。したがって、推古の摂政となった聖徳太子は、百済の大王の代理者と見るほかない。推古5年(597年)夏4月1日条に、「百済王が王子阿佐を遣わして調を奉った」とあり、阿佐太子が来朝していることが、それを暗喩する。
阿佐太子は、聖徳太子像を画いたことで有名だが、太子という高貴な身分にある者が、他人の肖像画を描くということはあり得ないこととされ、聖徳太子像は、阿佐太子が自らの肖像画を描いたものではないかと見られている。であれば、阿佐太子が聖徳太子ということになる。
換言すれば、阿佐太子は、百済大王の代理として、推古の摂政となり、実質的には倭国の大王として統治の任にあたったと思われる。それゆえ、蘇我馬子もグーの音も出ない立場に置かれたと思われるのだ。ちなみに東国房総(千葉県)の君津市鹿野山に阿佐太子の伝承があるように、各地を視察したのではないかとも思われる。
推古元年に聖徳太子によって起工された四天王寺は、百済式の伽藍配置であったとされ、蘇我馬子が発願した法興寺(飛鳥寺)の塔の心柱を建てる式典に、蘇我馬子ら100余人がみな百済服を着て参列し、心礎のなかには百済王の献じた仏舎利をおさめたという。
暦・天文・遁甲・方術などを伝えた百済僧の観勒は、日本最初の僧正に就任し、僧尼の僧綱(そうごう)を取りしきった。高麗僧曇徴によって、製紙法が初めて日本に伝えられ、水力を用いる石臼、すなわち水車も最初であろうとされている。ところで、高麗は高句麗とするのが通説だが、呉=仇乙(くれ)=句麗=高麗が、沸流百済の都邑地であった熊津の異表記であり、高麗は熊津のことでもあった。
推古朝の時代に作られた仏像を総称して推古仏といい、飛鳥仏とも称されるそうだが、韓地から渡来してきた仏師らによって制作された仏像のことだとされている。また、山梨県大月市の猿橋や浜名湖の架橋などは、長らく製作者が不明とされているのだが、百済から渡来した庭園・架橋技術者の斑白(まだら)の芝耆摩呂(しきまろ)の技術によるもので、あることを明らかにした。百済人の味摩之が伝えた伎楽舞の呉舞は百済舞のことであった。
日本史学界の体質は、秦河勝を中国人にしてしまうなど”韓隠し”を常套的な研究としているのだが、それゆえに、推古朝が百済仏教王朝であったことが、中国というベールに覆いかぶされて表に出てこなかったと考えられるのだ。
さらには近代になって、歪曲された歴史をさらに歪曲し、任那日本府をデッチあげて韓半島侵略の口実にした。歴史は損得で歪曲するものではなく、真実を追求し、人類の幸福に貢献すべきものだ。

2025-12-17 6面
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