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最終更新日: 2025-12-15 12:00:00
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2025年12月15日 12:00
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古代史万華鏡クラブ 第64回
人さらいと貢女…。悲哀の歴史②

 前回は韓半島に侵入した周辺諸国勢力によりさらわれ、奴隷などになった人々の苦難の歴史の一端をとりあげた。今回は女性たちの苦難。高麗から中国の元(モンゴル帝国)に贈られた娘たち、いわゆる高麗貢女について勉強してみた。貢物として遠い国に送られた娘たちだ。
いまさら説明するまでもなく、高麗という国は常に南進しようとする契丹・女真・モンゴル族などの北方民族と争い、特にモンゴル族の猛威はすさまじかった。1231年の侵略で王室は開城の都を捨て江華島に籠り戦ったが、父高宗の名代として元に渡り和平交渉にあたっていた世子の〓(元宗)はあくまで徹底抗戦を主張する武人勢力を制圧、元の属国となることを選ぶ。1270年のことである。
その〓(元宗)の子供・忠烈王にクビライハーンの娘、クトゥルク・ガイミシュが嫁いできてからはモンゴル帝国の娘(公主)を正室にすることが慣例化する。つまり歴代の国王は母妻ともにモンゴル人。高麗王家はモンゴル王の婿となった。ちなみにモンゴルから嫁いできた公主(ハーンの娘だけでなく諸王の娘も含む)は6人もいた。
高麗貢女はそんな状況下で誕生した。
元々、高麗人は忍耐強く勤勉。そんな民族性から華北の中国人の間では高麗の少年少女を「家章」と呼ばれた使用人として使うことがポピュラーだったというが、韓半島を侵略したモンゴル人は”高麗美人”とたたえられた娘たちに目を付け貢女を要求した。
モンゴル人女性研究者の喜蕾氏の著書「元代高麗貢女制度研究」でその数の多さがわかる。1231年から1363年の間に少なくとも1479人の娘が元の首都である大都(今の北京)、あるいはカラコルムに送られた。
娘たちは高麗で礼儀作法や言葉の訓練を受け、元の宮廷で働く官女となったが、二度と故国の土を踏むことはできなかったはずだ。
前述、喜蕾氏の著書を紹介した楊海英著の『モンゴル帝国』(講談社現代新書)によると、高麗王朝の有力者であった奇氏・蘆氏・権氏が少女を募集するという、組織化した形で運営されていたと解説している。また、少年も宦官として元に送り込んでいたというから、さらに驚く。
どんな娘たちが応募していたのだろうか。人減らしのような形だったと考えるが、家名を上げたいと望む名望家の娘もまた多かっただろう。万にひとつ”見染められれば”という狙いである。
超幸運な娘は14人もいた。さすが高麗美人の誉である。貢女の身分から歴代ハーンの側室になった娘は7人、諸王の側室になった娘も7人いたという。
韓流ドラマとなり、今もBS/NHKで再放送されている『奇皇后』もその一人。お茶や菓子、食事を運ぶ給仕から宮廷生活が始まった。やがて元王朝最後の皇帝となるトゴーンテムール・ハーン(順帝)の寵愛を受け、第二皇后に。その後第一皇后の死で正式の皇后になり上がっている。一見、理想的と思える栄達物語であるが、元王朝は1370年に終わる。”傾国の皇后”である。その超ドラマティックな人生は、他の無数の高麗貢女たちと同様、どこまで幸せであったかはわからない。
奇皇后。モンゴル名・ウルジィホトク(モンゴル語で”幸ある人”の意)。高麗国幸州(現在の京幾道高陽市)出身。実家は中国でいう”家微”(庶民)。姓は奇(娘の出世で力を得た奇氏一族は元朝末期、高麗に疎まれ粛清されている)。名前はわからない。元滅亡後のことや死亡年もよくわからない。
*  
数知れぬほどの戦禍に見舞われた韓半島。戦乱時の女性の苦難は限りなかったであろう。時代は下るが、秀吉の朝鮮侵略時の女性たちの受難の話の一片もぜひ書いておきたい。
日本軍は戦果の報告のため、野蛮にも死骸から鼻や耳などを削いで送るよう命じているが、その「鼻請取状」なるものに、1597年、全羅南道・南原城の戦いの折、広島の毛利一族、吉川広家から9月1日~10月9日の間に1万8350もの鼻を受け取ったという記載がある。ちなみに一緒に城を攻めた雄藩の鍋島は5444、黒田は8187、藤堂は382。小藩の吉川家が突出している。
残酷でひどい話だが、そんな吉川家の軍記『陰徳器』に韓半島に攻め込んだ時に用いた”日朝会話集”に、こんなものがあったと、小和田哲男が『豊臣秀吉』(中公新書)に書いている。
・歌ヲ謡ヘ↓ドロカエプルク
・美キ女ヲ連テコヨ↓コプンカクセイトボラヲラ
・舞↓ツウンチラ
・此方ヘ御座レ↓イラヲピシシャ        (原文ママ)
書くのもはばかられるが、吉川軍の女性に対する行為は明白。女性掠奪のためのテキストまで用意していたか、と呆れるし恥ずかしい。
慶尚南道の晋州城攻防戦から生まれたヒロイン、倭将を道連れに南江に飛び込んで死んだ義妓論介の壮絶な事跡が称えられたのがわかる。

都を捨て40年近くたてこもった江華島。あくまで元の属国になることを拒んだ三別抄の反乱は韓国の重要な歴史である
〓韓国観光公社フォトギャラリー

2025-12-17 6面
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