若き頃の祖父李熙健と他の一世の仲間達が朴正熙大統領を囲んで誇らしげな様子の写真。
写真の中のひとりひとりの顔を見ながら何度も思った。祖国発展に向けての燃えるような情熱。最初は祖国に対して、故郷に対して、家族に対しての『申し訳なかった』という罪悪感みたいなものが共通してあり、それに駆り立てられて『祖国への貢献』競争していたのではないかと考えた。国が大変な時に家族を、故郷を、祖国を直接支えることができなかったこと。
しかし私は自分が間違っていたことに気づいた。祖国発展への寄与に一世世代を駆り立てたものは、純粋な愛国心、故郷愛だった。申し訳ないという過去に引きずられるネガティブな動機でなく、大きく発展した祖国の未来図に繋がるまっすぐな愛国心。
それが彼らを突き動かしていたのだと。済州島のミカンの木が増え大地を黄色く覆う様、桜の植林の努力が実り、満開の桜が人々に微笑みをもたらす様を心から望んでいたことを。
その写真と同じような清々しいプライドに満ち溢れた顔、顔の記憶。それは88オリンピック開会式で聖火に点火された瞬間。平和のシンボルの鳩がスタジアムから大空に飛び立つのを見つめる彼らの顔。
あの瞬間、彼らの心に浮かんだ風景はどの風景だったのだろうか。故郷の寒い冬の山道、荒れる玄界灘、鶴橋の闇市、新韓銀行創立の日―。今でも瞼を閉じれば、背中をしゃんと伸ばし、ピカピカに磨かれた靴を履き、お気に入りのショルダーバッグを抱えたお洒落な祖父の姿が浮かぶ。
そして、ここ在日韓国人記念館。目を瞑ると一世のハラボジ、ハルモニ達の息遣いを感じる。記念館のある建物の屋上に上がると、光化門の広場が見える。李舜臣、世宗大王の銅像、背後には景福宮そして北漢山。誇らしげにその様を見つめ、満足そうに微笑む彼らの魂が宿る記念館に私は今日も足を運ぶ。
<完>
 | 「在日韓国人記念館」を訪問した在日同胞子どもたち(2025年7月29日) |
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