36番歌を見てみよう。
当時の人々の来世観が美しく描かれている。万葉集の歌を知らないと、古代日本の文化が分からないはずだ。
国中の人々に、草壁皇子が生前に成し遂げた功績を知らせなさい。
我が大王に生前の功績を申し上げよ。
天下のすべての人々が悲しく泣いて、流した涙が池二つを満たす。
澄んだ川の中で、冥土への使者に付いて行く皇子を見て悲しむ心。
吉野の国で花が散った。
皇子様は、秋が深まった渡し場の荒れた辺境にまで、国の基礎を大きく広げられた。
百礒城の大宮に住んだ方が乗っているあの世行きの船は、群れとなって朝方に川を渡る。
あの世への船が競い合って夕方、川を渡る。
人々が川辺に集まり、息が切れるように長く泣いている。
人々が集まり続け山を埋め尽くす。
山いっぱいに集まって高い泣き声で悲しむ。
玉のように美しい方が、水が激しく流れる瀬を渡る。
宮殿に住んでいた方が冥土の海に現れたら、生前の功績を飽きないように申し上げよ。
吉野で花が散ったと歌った。吉野はどこか。天武天皇と鸕野讚良が壬申の乱を起こす前に隠居していた所だ。今もその跡が残っている。万葉集を見ると、天武天皇ご夫妻と子孫たちはよく吉野を訪れた。
鸕野讚良皇后と息子の草壁皇子は共同で国を治めていたが、皇子は母親と妻を残して二度と戻れないところへ行った。鸕野讚良の悲嘆が万葉郷歌の歴史を変えた。
原文の中の「天下のすべての人々が悲しく泣いて、涙が池二つになった」という誇張法を見てほしい。なんと斬新な表現だろう。あえて問う。現代の日本人たちはこのような誇張表現を使うのか。あなた方の祖先が用いた誇張法なのだ。
37番歌を見てみよう。
君よ、姿を現しお腹いっぱい召し上がれ。
吉野宮にはいつも水が流れるね。
絶えず永く流れるね。
戻ってきてその姿を見せなさい。
鸕野讚良の涙が川の水となって流れていた。
もし、吉野宮を訪れる読者がいらっしゃれば、吉野宮の前を流れる川辺に座って、母としての鸕野讚良の悲しみに思いを馳せてみてほしい。
この歌は、持統天皇が吉野宮に行幸されたとき随行した万葉の歌人・柿本人麿が作った歌だ。柿本人麿は持統天皇の傍に仕えた万葉の歌人だ。柿本人麿を知らずして持統万葉は理解できない。
持統天皇は草壁皇子の死後、吉野宮によく行幸された。吉野宮で草壁皇子に対する祭儀を行ったようだ。息子を失った母親の涙が吉野川に落ちて流れていた。今でも彼女の涙は川の水となって流れている。
草壁皇子の死と万葉郷歌の爆発 持統万葉の始まり(万葉集35~38番歌) <続く> |