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最終更新日: 2025-05-27 12:01:12
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2025年05月20日 10:41
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私が出会った在日1世~三千里の人々① 安部柱司
1973年に結集した在日の知識人

 年譜に「1973年6月、三千里社設立に参画。『季刊三千里』の刊行準備」とあるが、徐彩源は表に出ないと言うことで詩人の李哲が社長に就く。他は金達寿、朴慶植、金石範、李進煕、姜在彦、尹学準の6人だった。この席次は渡日の順番に大体沿っている。
金石範の渡日は一応戦後のはずだが、済州島の人は高淳日の例が示しているように、行ったり来たりしている。渡日の回数が複数存在するので年月を決められない。
金達寿も朴慶植も親が先に渡日する。生活の場が確保されると息子を呼びよせる。
朴慶植は「強制連行」で知られているので、直接に尋ねた。高淳日が経営する渋谷東急店隣のピーコック喫茶店2階で尋ねたのである。
「私は強制連行されて日本に来たのではありません」との答えであった。
のちに、朴慶植は「身体的拘束だけが強制連行ではありません」と、述べている。では朴慶植も「強制連行」に当たるのだろうか。親が職を求めて渡日した、それは朝鮮の植民地化が招いた、と説明できる。だが、植民地化しなかった場合、渡日をしなかったと言えるだろうか。
出身地でいえば、慶尚南道が金達寿と李進煕、慶尚北道が朴慶植と尹学準、済州島が金石範と姜在彦であった。在日社会では、『季刊三千里』誌は以上の6人を同人とする出版物だと受け止められる。
韓国で「現代京城語」を標準とした発音綴字法などが統一純化された朝鮮語の教育を受けたと目されるのは、李進煕、尹学準、姜在彦であった。金石範も多分受けているだろう。
金達寿と朴慶植は確実に戦前の日本へ来て、日本の小学校に学んでいる。そして日本の大学で学んでいる。
朴慶植の場合は大分県国東半島の中央部の山村の小学校を卒業している。大分県ではかなり知られている小学校である。その小学校を卒業して、大学に進学したのは、同級生中でたったの二人であったそうである。ほとんどの同級生が進学できない環境で、大学に学んだ朴慶植はある意味で恵まれていた。
金達寿と朴慶植は日本の小学校で、日本語教育を受けている。朝鮮語は「家庭語」であった。
金石範は京都大学に学んでいる。きちんとした日本語教育を受けた日本の知識人であった。
李進煕は50年ごろ潜水艦で渡日する。明治大学に学び、朝鮮大学校で教える。
姜在彦は韓国で高校教師を務めていた当時、マルクス経済学をより深めたいと、向学の意志を固めて渡日してきた、と述べている。
そして尹学準だが、韓国から逃げ出したと語っている。尹学準の渡日は、本人も語っているが、客観的には法政大学の高柳俊男教授の報告がある。
「尹学準が日本の地に初めて足跡を印したのは、朝鮮戦争末期の53年4月28日で、旅券を所持しない渡航、すなわち密航の形であった」(「渡日初期の尹学準」『異文化』5号)。
33年生まれの尹学準が20歳の時だったと述べ、続けて「とくに戦後の民族運動や学術・言論活動などで主導的役割を担った人のなかに、そうした形で渡日した人が意外と少なくない」と、潜水艦と呼ばれた日本へ渡航した人々の歩みを分析する。
李進煕、姜在彦の場合なども、高柳俊男教授から指摘された「そうした形で渡日した人」に入るのだろう。『季刊三千里』から『青丘』誌の刊行には、李進煕、姜在彦が同じように主導的役割を果たしている。

2025-05-21 5面
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