ハン・ガンのノーベル文学賞受賞が、日本の韓国文学ブームを後押しするかたちとなったことに異論を唱える人はまずいないと思われるが、そのブームを支える要因のひとつに、秀逸な翻訳があることはともすれば忘れがちだ。そんな中、今回この連載で取り上げている『別れを告げない』によって、翻訳家の斎藤真理子氏が第76回読売文学賞「研究・翻訳賞」を受賞したことは、快挙と言っていいだろう。同氏の考え抜かれた緻密で美しい日本語の翻訳がなかったら、本作はさほど読者の共感を呼ぶこともなく、埋もれてしまったかもしれない。
『別れを告げない』が「済州4・3事件」という現代史をテーマとしていることは前回言及したが、ハン・ガン自身は本作を「究極の愛についての小説」だと語っている。つまりこの小説は、単に現代史の痛みだけをえぐり出そうというものではないのだ。むしろ、その記憶がフラッシュバックするたび、愛の記憶が深まっていくような印象を筆者は受けた。そのせいか、同作家の『菜食主義者』や『少年が来る』に比べて、本作はより詩的で、だからこそ、強い印象を残すような気がする。雪と寒さに行く手を阻まれながら、インコを救うという名目で、友人インソンの家を目指すキョンハを突き動かすのが、インソンの断固とした思い、つまり愛に他ならないと感じたからだ。
ここで済州4・3事件について触れておこう。米軍政下だった1948年4月3日、南だけの単独選挙に反発した島民の蜂起に対して、軍や警察などが鎮圧に乗り出し、その過程で多くの島民が虐殺された事件だ。犠牲者の数は3万人以上と言われている。
ノーベル賞受賞記念講演でハン・ガンは「私たちはどれだけ愛せるのか? どこまでが私たちの限界なのか? どれだけ愛すれば私たちは最後まで人間としてとどまれるのか?」と問い続けたと語っている。私たちは世界中で今も起こるあらゆる暴力をニュースや新聞の他、さまざまな媒体を通して知るが、それはあっという間に上書きされ、記憶に留まらない。だが文学として書かれたものは人々の心に深く刻まれ、長く記憶される。この小説もまた、読者に強烈な印象とともに記憶されていくだろう。
筆者はこの小説に対比するドラマとして『私たちのブルース』をあげた。このドラマは済州島が舞台だが、「済州4・3事件」に関わるシーンは存在しないし、セリフもない。それでも『別れを告げない』と対をなす作品として取り上げたのは、痛みと愛の物語だからだ。そしてその奥底に、やはり「済州4・3事件」の影がどうしても読み取れてしまうからだった。だがここに関しては、筆者の深読みが過ぎるとのご指摘があるなら、それは甘んじて受けねばなるまい。
ドラマは市場で鮮魚店を営むウニを中心に、海女たちや市場で働く人々が時には主人公に、時には脇役として描かれる。島の濃厚な人間関係はありがたくもあり、わずらわしくもある。それぞれに事情を抱えており、誰もがそれを知っているのに、つい口出しして傷口をさらに広げてしまう。だが、傷をさらけ出すことで愛情はさらに深まっていくのである。それは、『別れを告げない』に描かれる、痛みの記憶がやがて愛と癒しに昇華されるのと似ている。
さて次回は、この2作品が語りかける痛みと究極の愛について、さらなる考察を試みたい。 |