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最終更新日: 2025-04-01 11:59:48
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2025年03月12日 10:51
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大韓民国の建国史380
斧蛮行事件後、長期の準戦時態勢維持で北韓経済疲弊

 米軍が動員した1万2000人の地上軍増員では北韓全域を占領することはできないが、少なくとも北韓の主要施設を爆撃で破壊、休戦線をもう少し北に押し上げる戦力にはなった。
いずれにせよ北側は8月20日、朝鮮中央通信のラジオを通じ「朝鮮人民軍最高司令官同志が、人民軍全部隊と労農赤衛隊、赤い青年近衛隊の全体隊員に戦闘態勢に入ることに対する命令を下達した」と戦闘態勢を発令した。大学生たちも軍に徴集した。金日成の次男の金平一は、金日成総合大学の学生たちを集めた場で全校生の軍入隊を督励し、自分が真っ先に陸軍に入隊することで軍部の絶対的信任を得るきっかけを作ったと言われる。
実際、北側は米国がここまで強硬に出るとは想像もできなかった。それほど米国のことが分かっていなかった。斧蛮行事件の金正日主導説を提起した申敬完(朴炳燁、党対外情報調査部副部長)の証言によれば、金正日も米軍を叩いてやれと言っただけ、まさか米軍将校2人を殺害したとの予想外の報告を受け仰天したという。
金正日は事が大いに間違ったことを感知し、哨所から直ちに撤収せよとの命令を下した。米軍将校が北韓軍に殺されたという報告を聞いて驚愕した金日成は、激怒して金正日になぜこんなことをやったのかと叱責したという。金正日は「米軍の意識的な挑発だ。彼らが戦争を起こそうと挑発した」とずうずうしい嘘の報告を上げた。党秘書たちは金日成にどうしても金正日が指示したとは言えず、人民武力部の奴らが狂ってそうやったと報告し、金日成はまた激怒して人民武力部長の崔賢を呼び、下品な悪口を浴びせ、金正日の罪を被った崔賢も作戦局長を叱責し処罰したという。
結局、米国の報復作戦が準備されるや、金日成は「人が死んだから遺憾を表明せよ。プエブロ号事件のとき米国も謝罪したではないか」との責任回避の指示をした。米国は当初、遺憾表明は謝罪でないと拒否したが結局、膺懲作戦が終わった1日後、受け入れた。
北側は米国が攻め込んでくるのを恐れて1年間も準戦時態勢を維持した。除隊した将校たちも60歳未満は全員軍に復帰し、生産施設を後方に移す準備をした。8月から11月までの3カ月間は、全軍人が軍装をして眠りにつき、労働者たちも職場から出て戦闘位置に配置され、大学生も皆人民軍に徴集され事実上、休学状態に入った。北韓経済は、莫大な軍事費支出で甚大な打撃を受け、兵士たちに支給する食糧も不足するなど、1980年代の経済政策の失敗につながり急速に墜落し始めた。
平壌をはじめ、黄海道や江原道の前方地域の住民疎開作業が始まった。高齢者や成分不良層を咸鏡道に移住させる作業だった。このため、平壌をはじめ、該当地域は極度の混乱状態だったという。あまりにも急な疎開作業のため、食糧問題が深刻で自殺する人々も続出したという。当時、平壌は灯火管制が行われ、夜になれば暗く、市民もサイレンが鳴ったら指定された地下バンカーに入って辛い毎日を強いられたほどだ。
金正日の長男である金正男のいとこで、1997年2月にソウルで暗殺された李韓永(本名李一男)が書いた本『大東江ロイヤルファミリーのソウル潜行14年』によれば、この事件で金王朝の一族が大挙、モスクワに身を隠し、金正日の長男の金正男、妹の金敬姫夫婦、弟の金英日、金経進などいわゆる「ロイヤルファミリー」の女性と子どもたちが巨費を持ってモスクワに行き、2カ月ほど高級ホテルに泊まりながら過ごしたという。

(つづく)

2025-03-12 5面
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