スチールウェル国連軍司令官は8月19日、李世鎬陸軍参謀総長を訪問、問題のポプラの木を伐る作戦に韓国軍空輸部隊を動員できるように要請、李世鎬参謀総長は同意した。柳炳賢合参議長は、朴熙道第1空輸特戦旅団長に「発砲せず事態を終結させるためには、素手だけで勝てるテコンドー有段者を選抜して戦わねばならない。北韓側の兵士たちが自制するかどうかはわからない。もったいない将兵が犠牲にならないようにせねばならない。方法は朴将軍に任せる」と指示した。
国連軍司令官は19日の午後、作戦に参加する指揮官たちを招集、西部戦線の防衛を担当する韓米1軍団長のクシマン(Fohn H Cushman)中将とJSA地上作戦司令官として特別チームを指揮する米2師団長のブラディ(Morris Brady)少将に会い、JSAのビエラチームを支援する2師団の9歩兵大隊の2つの特別チームを作った。
19日の深夜、国連軍司令官室でスチールウェル将軍と柳炳賢合参議長、駐韓米大使館の軍事・政務担当参事官、国連軍司令部の作戦参謀などが作戦会議を開いた。会議が進展しないため、スチールウェル将軍と柳炳賢将軍の二人だけが残り、米国防部と協議しながら、作戦中に発生する偶発状況に対する細部作戦計画を作った。
偶発計画には、韓米軍がポプラの木を伐る作戦中、北韓軍が挑発してくる場合は、米2師団と韓国軍が全火力を動員して開城一帯を攻撃、占領する内容が含まれた。スチールウェル司令官は19日23時30分、JSA(共同警備区域)内の国連軍第3哨所近くのポプラの木除去計画を米合参議長に送った。この作戦計画は1995年6月、秘密解除された。
秘密解除されたポール・バニヤン(Paul Bunyan)作戦の作戦概念は、奇襲作戦のため、北側の警備兵の朝の交代時間に合わせて作戦を開始、国連軍警備兵たちがJSAに入りポプラの木を伐り、JSA内の自由移動を防ぐ北側が設置した道路障害物2つを撤去する。約45分間と予想される切断作業は、非武装の韓国軍50人ほどの警護を受けて工兵隊が担当、切断作業開始と同時に北韓軍側に通告する。
JSA内の作戦を支援するため韓米両軍の歩兵中隊を近隣に配置し、戦車大隊2個と装甲歩兵部隊、砲兵隊を配置、空中作戦と韓米1軍団も高度の準備態勢で臨むよう計画された。国連軍将校を殺害した北韓軍を逮捕・膺懲するのではなく、ポプラの木の除去で米軍の圧倒的な力を北側に見せることに制限された。
JSAの国連軍警備部隊は、ポプラの木を伐る方法に関して警備将校たちと米2師団の共兵将校たちが会議をした。ポプラの木は直径2メートルほどの根元を伐るには時間がかかりすぎるため、地上2・5メートルの高さの3つの枝を切ることにした。
スチールウェル司令官は8月20日の午前、朴正煕大統領を訪問し、細部作戦計画を報告した。午後1時、ボニパス大尉とバレット中尉の遺体が金浦空港を離れ本国に移送されたが、JSA警備部隊の戦友たちは告別の挨拶もできなかった。作戦準備のため本国移送事実も知らなかった。
20日の午後6時、米合同参謀本部からF111戦爆機の韓国配備、空母ミッドウェイの韓国近海への展開、B52爆撃機の韓国訓練など命令が下った。ポプラの木を伐る作戦支援のための兵力としては大規模だった。スチールウェル司令官は、JSA警備部隊を訪問し、現場で作戦に臨む将校たちに直接、武器携帯禁止など作戦指示をした。 (つづく) |