情報機関では、国家的課題に必要な人材が絶えず発掘、動員、養成された。数多くの人材を情報機関は輩出した。中央情報部は韓国社会の圧縮版だった。情報機関は属性上、その機関を動かす権力者、指導者の道具となる。
権力と権限は武器だ。武器(権力・権限)は、誰がそれを持つかによって利器とも凶器ともなる。自己管理に徹底した権力者は情報機関を適切に運用することになるが、自己管理能力が不足した者が権力を持つようになれば権力機関は凶器になるしかない。何より権力と権限には中毒性がある。
中央情報部やその要員たちの献身や、公開できない数多くの成功、国家への貢献にもかかわらず、国家中央情報機関としての逸脱や韓国社会に及ぼした否定的役割も冷静に顧みねばならない。国家中央情報機関の発展のための教訓、特に未来の失敗を警戒するためにも必要だ。
まず、中央情報部によって苦しみを経験した国民が少なくないという点だ。これは、情報機関の存在と情報組織に付与された任務に伴う構造的な面と、構成員の活動による副作用などを区別して考えなければならない。
中央情報部は存在目的や正当な役割にもかかわらず、まず大統領以外の統制を受けなかった。民主制度では権力の分立と相互牽制などをその成立の前提とするが、中央情報部は場合によっては、多くの場合、政府の3府の上に存在した。国家の立法権と予算権を持つ国会の統制を受けなかった。むしろ国会を監視する存在だった。
これは建国以来、戦争状態が持続した非正常的な新生独立国の悲劇といえる。国家情報官が国会の統制外で国会を監視、統制することになったのは、中央情報部が望んだ状況では決してなかった。
大韓民国は、憲法が最高規範だが、この憲法と憲法理念(自由民主体制)を守る装置は、法的には国家保安法しかなかった。大韓民国とその憲法体系を転覆しようとする反国家団体、共産全体主義とその支持勢力から憲法と自由民主体制を守る装置が国家保安法と韓米同盟だった。その点で国家保安法と韓米同盟は、憲法体系を維持するのに不可欠な存在、つまり憲法の一部と言わざるを得ない。
憲法を守る正当かつ緊急な措置に必要な、不可欠な存在が国家保安法を執行する司令塔である国家情報機関だった。現代国民国家の存立、存続にはいろいろ必要だが、その中で統治力(統治権)と行政力(行政権)、これを物理的に保障する軍隊と警察力は不可欠だ。
問題は、こうした統治と行政力を養成すること、その過程が本当に難しいという点だ。要するに、近代国民国家の建設は、まさにこのような法的、物理的装置を確保運用するのに必要な国民を教育、養成することが国家建設の成功を左右するという貴重な経験を中央情報部もすることになる。
大韓民国の国軍を建設したのが李承晩建国大統領の最大の功績の一つであることは、いかなる場合にも否定できない。そして国家が存在できるようにする軍隊の干城を養成することは国家の百年大計であり、そのため6・25戦争中も士官学校を作り国軍の干城を養成し始めた。
国軍と同様に重要な国家中央情報機関も士官学校のような精鋭要員が当然必要だった。中央情報部の問題は、この人材確保、人材養成だったと言える。朴正煕大統領が中央情報部を格別に管理したが、膨大な業務に比べ適切な人材が供給、養成されたとは言えなかった。特に情報部長など幹部たちに高度な権限を行使する能力が足りない場合が少なくなかった。
(つづく) |