大韓民国の建国史で、特に第3共和国からの歴史は、情報機関(中央情報部)の存在を除いては語れない。第3共和国以降の重要な歴史的文書、国政の主要政策に関連する文書の数多くの原本が中央情報部で生産、保存されている事実だけで見ても分かる。
もちろん、情報機関の業務は基本的に秘密裏に、日常的に秘密に行われるものだから、表に露出してはならない。それにもかかわらず、中央情報部は朴正煕大統領執権18年間、常に国内外の注目を集めてきた。そして、メディアや大衆の関心の中、濡れ衣を着せられ叱咤されることも多かった。
情報機関の業績や成功は隠され現れないが、失敗は明らかになりやすい。韓国の情報機関も広く知られた失敗やその副作用よりは、総体的に見て大韓民国の安保と近代化に寄与した部分が絶対的に多大だったと言える。
まず、国政を導く大統領の立場で、次のようなこと、状況が生じたらどうすれば良いだろうか。
つまり、一つの政府部署が推進するのが難しいこと、内閣の所管部署が曖昧なこと、法的根拠や前例もなく公式の予算が確保されておらず、通常の官僚組織、通常の方法で対応し難い状況や問題、大統領の統治権次元でのみ可能な措置、国家の司法権などで対応できない非公式の影の戦争、時間的に通常の政府組織が対応できないことなどなど。
大統領としては最も忠実で、軍隊以上に命令に服従し、水火をも辞せず献身的に働く自分(大統領)の直属機関に命じることが当然だ。いや、他に対処のしようがなかったというのが正しい話だ。中央情報部が作られたのは大韓民国が建国してからわずか13年後だった。以前に説明した通り、大韓民国は5・16革命後に初めて法制処が作られ、日帝植民地時代の法令を韓国語に翻訳し整備するほど国家的インフラともちろん、人材が足りない状況だった。
朴正煕政府の数多くの立法と国家的制度整備は少数のエリートたちの献身によるものだった。中央情報部は、大統領の指示(各種緊急懸案、国家的課題)について情報を収集、分析し、報告書を作成した。報告書には、必要な措置と政策の代案が含まれた。国家情報の最終使用者である大統領の意志と国政哲学をよく知る直属機関として、国政の方向に合わせて政府内の関連部署との協調と政策調整などを迅速に取ることができた。
大韓民国は5・16革命後に、近代化の要求に応じて初めて政府組織が整備され膨張することになるが、関連法令が整備され専門省庁が作られるまでその産婆役をすることは結局、大統領を直接補佐する大統領府秘書室と建国とともに作られた政府部署の少数の核心的人材の任務だった。そして大統領と同時に、これら政府の核心部署に必要な情報を供給し支援するのが中央情報部に求められた。朴大統領は、中央情報部を最大限、そして徹底的に活用した。
中央情報部は、他の国の国家情報機関では決して要求されない数多くの業務、役割を大統領と政府と国民から求められた。国家と政府の任務と役割が拡大し、中央情報部の業務は増えた。中央情報部が望んだことではなかった。中央情報部は、専門医が常時待機している総合病院の緊急室のような存在、消防署のような存在になることを要求された。
国家と国民、「国益」のためなら何でもやることを求められた。中央情報部は大統領の分身として喜んで国家の要求に応じた。中央情報部が収集、生産、蓄積した膨大な情報とデータ、各種資料は大韓民国の貴重な資産となった。
(つづく) |