近代国家、特に発展途上国での安保と体制の安定に不可欠な要素は、言うまでもなく、軍隊、経済力、国政を企画・調整するシステムなどだ。
経済開発計画を推進する朴正煕政府としては、利用可能な資源はもちろん、これまで持たなかった資源を見つけ動員しなければならなかった。いくら偉大な戦略や構想があっても、これを施行するためには当然、効率的な資源動員と政策の運用、調整が必要だった。
「戦いながら働き、働きながら戦う」を目指した体制で大統領には迅速かつ正確な情報が不可欠だった。大統領と秘書室、最側近の参謀たちに必要な情報が適時に供給されなければ大統領府は現実と現場から遊離する存在となる。
大統領直属で作られた中央情報部は、この要求を満たす存在だった。創設される時は貧弱だったが、国内外に情報アンテナを広げた唯一の国家機関である中央情報部は国政の実質的司令塔となっていった。近代化革命の騎手を自負した要員たちは献身的に働いた。国政の企画と遂行において、中央情報部に対する要求と役割を急速に拡大した。
防諜と反革命監視をはじめ、北韓と国内外の情報を広範囲に収集、分析した。政府内の情報・捜査機関などを調整、統制する機能まで持つ中央情報部は、大統領が必要とする最高級の情報を生産、提供した。
他の先進国の国家中央情報組織との違いは、中央情報部の重要報告には、政策決定権者のための対策と代案が含まれていた。与野党の動向など敏感な政治情報も適時に収集、報告された。
中央情報部は大統領の立場で考え、行動するよう求められた。そのため、大統領に代わって全政府組織をコントロールする必要があった。大統領は、情報報告を受けると同時に、政策提案や代案を同時に受けることができた。報告、提案された政策に対する大統領の反応や指示は、大統領の参謀たち、関連部署と同時に中央情報部にも伝達された。事案によっては、大統領の指示が中央情報部だけに達した。
南北の対決で、金日成の対南工作である「3大革命力量強化」工作を立体的に分析できるのは中央情報部だけだった。南・北間の接触も、中央政府部と朝鮮労働党組織指導部の間の接触、コミュニケーションから始まった。中央情報部は冷戦の司令塔だった。
東西古今、いかなる体制においても最高権力者に報告する情報を独占し、意思疎通や政策を提案、提示できる、統治者と距離が近いことは、権力の大きさを決められる基準だ。大統領といつでも緊密に疎通できる中央情報部長は、政府の公式的な儀典序列に関係なく、実質的な権力の第2人者だった。
国内外メディアの関心はいつも実力者の中央情報部長の動きや関心事に向けられた。公務員組織は、中央情報部の動きを機敏に把握することが国政の方向を把握する近道となった。メディアも情報部の実力者の動向が優先的な取材課題となった。
中央情報部は、韓国社会のすべての複雑な生態系を把握、統制する役割を果たすことを強いられた。
このように情報と権限が過度に集中した副作用も当然現れた。情報機関の脱線と暴走が問題になる事故も起きた。情報部が権力闘争に巻き込まれることも起きた。そして、敏感な国政の秘密を知っていた者たちが海外に逃走して問題を起こしたりもした。金炯旭などだ。もちろん、朴正煕大統領は中央情報部の独走を許さなかった。
(つづく) |