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最終更新日: 2024-05-01 13:21:33
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2024年04月09日 12:14
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大韓民国の建国史346
朴正煕の経済発展という「功」は維新独裁という「過」の産物

 朴正煕は彼自身の成功のため、その成功の実を取って成長した勢力、成長した世代、新しく形成されつつあった韓国の中産層によって拒否される運命を迎えるようになる。
朴正煕は、金日成が差し向けた特殊部隊や刺客などによって少なくとも3回(1968年1月、70年6月、84年8月)、命を狙われた。平壌側(金日成)が養成した韓国内の非合法の社会主義革命組織も朴大統領の命を狙った。
そして、ついに同盟の米国が朴大統領を本格的に攻撃し始めた。米国は、封建全体主義の神政体制である金日成の命は狙わなかった。成功的に発展していた「主権国家」の指導者を攻撃したのだ。
自由世界の少なからぬ著名人たちや知識人たち、メディアが、朴正煕は経済には成功したものの、民主主義には失敗したと言った。ところが、韓国の経済発展「圧縮成長」達成という朴正煕の「功」は、朴正煕を批判し、呪ってきた人々が取り上げる「維新独裁」という「過」なしには達成できないものだった。
朴正煕の偉大さは、東西冷戦と韓半島の南・北間の総力戦の中で、このような成長と発展を成し遂げたことだ。朴正煕はこのため韓国人を訓練した。金日成が、韓国をベトナム戦争の第2の戦場にしようとするや、休戦線はもはや非武装地帯ではなくなった。
韓半島で東西陣営が激突した3年1カ月間の熱戦は、韓半島を植民地統治した日本が去りながら残した物質的遺産をほぼすべて灰にした。この凄まじい破壊を経験した朴正煕大統領は、二度と国土を戦場にすることは避けようとした。
だが、米国は、韓国が平壌の攻撃に立ち向かう独自の反撃能力を持つことを許さなかった。
朴大統領は、中化学工業の建設を担当する核心官僚を民族主義に徹底したテクノクラートたちを選んだ。「維新体制」によって民主主義が後退したと非難するが、朴正煕大統領は経済成長の果実を国民に返した。
年間平均8・5%の高度成長は、韓国人の生活の質を画期的に高めた。特に教育制度と雇用機会を広範囲に拡大した。中学校の進学者は60年代と70年代に急速に増えた。80年代には250万人に達した。高校入学者も急増、70年代に59万人から270万人に増えた。朴大統領執権18年間、韓国人の平均寿命は55・3歳から65・9歳に伸びた。
反面、全住民に首領のための銃爆弾になるよう強要する北韓は、対南工作も個人の意思と関係なく人民を無慈悲に徴用、徴発し工作員として養成した。
金日成は、南韓住民も革命の道具にした。国内外の数多くの知識人や抵抗勢力は「人革党」「統革党」「解放戦略党」「南民戦」などを、朴正煕政権が「北からの脅威」を口実に政権(体制)守護のため作り出した「容共でっち上げ」と模略した。
この謀略を米日など西方陣営の「進歩的」メディアやいわゆる知識人たちは拡大再生産した。朴正煕政権が「容共でっち上げ」を通じ政治犯(良心囚)を量産していると信じた彼らは、朝鮮労働党の日本支部の朝総連も日本社会で差別され弾圧を受けている集団として対した。
しかし、「容共でっち上げ」はなかった。金日成は「第2次人革党事件」発生1年後の75年6月、ブルガリアを訪問した。金日成は、ブルガリアのトドル・ジフコフ議長と交わした非公開の対話で、平壌の指令で韓国内に組織した統革党(68年8月に検挙)の実態について話した。
(つづく)

2024-04-10 3面
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