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最終更新日: 2024-11-19 12:39:03
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2024年04月02日 12:20
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大韓民国の建国史345
キッシンジャー米の国は同盟国にどう対したか

 ニクソン・キッシンジャー以後、米国が韓国にどう対したかを世界史的観点から、そして東西冷戦状況からもう一度整理してみる。それから、当時の韓米関係や西欧式民主主義体制の弱点を最大限利用していた共産陣営が、韓米間の弱い隙間にどう食い込んだのか、特に共産側がワシントンを利用して朴正煕体制を攻撃する方法をどのように発見したのかを見てみる。
まず、米国はケネディ大統領が暗殺された後、事実上選挙で選出された大統領ではなく、ワシントンを動かす見えない政府が統治する国となった。彼らは米国の利益として包装された自らの利益を保護、追求するようになる。キッシンジャーはその勢力の利益のための代理人だった。
キッシンジャーはニクソン大統領の下で1969年から国家安保補佐官として、中・ソを切り離し、ソ連とデタントを追求した。ウォーターゲート事件でニクソン大統領が74年に辞任すると、ジェラルドフォード大統領の下で国務長官を務める。キッシンジャーはソ連と戦略兵器制限交渉、弾道弾迎撃ミサイル条約を協商した。
キッシンジャーはオイルショックなどを収拾し、東西冷戦で西方陣営を結束させるため、西欧先進諸国を、米国が新たに作り上げた「ペトロドル体制」に順応させる作業を推進した。このため米国、西ドイツ、フランス、英国は73年から非公式財務長官会合を持ち、米国の提案で日本がこのグループに追加された。この5カ国は75年11月、フランスで初の首脳会談を開くが、このG5首脳会議は、イタリアが参加を求めてG6となった。
そして米・英は76年、英語圏国家をもっと増やす必要性を感じ、当時最も発達した先進国の一つだったカナダをG6に新たに招待した。欧州連合は、77年、英国によって初めて招待された後、継続的に招待され、欧州連合執行委員会委員長や委員長の所属国の代表が欧州連合を代表して参加する。欧州連合理事会の議長国が参加することもある。
ところが、このG7会議でどのような事案が議論され決定されたのかは、関係国のごく少数の官僚を除き、外部に全く知られていなかった。これは、この先進諸国の会合が、西方の冷戦戦略を調整する装置だったからだ。表では先進国間の親睦会合のように見えても、要するに米国が主導する秩序を確立、調整する装置だった。
米国は、西欧陣営のリーダーとして、日本や西ドイツなど先進諸国の入場さえも容赦なく牽制、操縦した。
同盟国は場合によっては「主権国家」ではなく、米国の利益のための存在として行動を強いられた。つまり米国(キッシンジャー)が描く戦略(構想)ないし、要求に抵抗するのは他のG7国家でも非常に危険なことになった。
もちろん、キッシンジャーについて当時も批判があった。76年秋の米大統領選挙で民主党のジミー・カーターがフォードを破ると、キッシンジャーは国務長官職を去った。カーターは選挙運動期間中、キッシンジャーを批判、彼が米国の外交関係の全体を”1人で”管理していたと攻撃した。その後のキッシンジャーの言動を見れば、カーターの当時の批判は正しかったと言える。
朴正煕大統領は、米国が設計した国際秩序の中で、米国と共産圏の両方から牽制、攻撃を受けながら「維新体制」を作り、国力を結集することに成功した。韓国経済は跳躍期に入った。「維新体制」は韓国民に大きな恩恵を与え、韓国は南・北間の競争で金日成を完全に引き離した。
(つづく)

2024-04-03 3面
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