韓統連機関紙の『民族時報』が掲載した活動総括や郭東儀の演説などを通じて分かるのは、彼らの主張と活動が、「韓国の民主化」とは程遠い闘争、要するに普通の市民(有権者)の政治的主張や活動とは次元が違う、敵対的・破壊的主張・活動であることだ。
それは当然だった。郭東義は非合法的方法で平壌へ行ってスパイ教育を受け、韓民統を構成する裵東湖などの核心は、労働党日本支部(朝総連)内の特別なチームが管理、指導したためだ。郭東義と裵東湖を管理した者たちが、まさに平壌の指令に従い朝鮮労働党日本支部機関誌(朝鮮新報)を作る責任者たちだった。彼らは用語から平壌の指令を忠実に履行せねばならないため、韓民統の機関紙が朝鮮新報と同じなのは当然だ。
いずれにせよ、韓民統(韓統連)と郭東儀については、「金大中内乱陰謀事件」と関連し1980年、駐日韓国大使館が戒厳司令部の合同捜査本部に提出した「朝総連・韓民統日本本部・金大中関係」の報告書(領事証明)に詳細に記載されている。この領事証明は韓民統がどう作られたかを詳細に記述した。前に述べた通り、平壌側の日本国内の対民団工作などで暗躍した別のスパイも詳細に陳述、証言している。
もちろん、日本国内で大韓民国を破壊、転覆する工作で暗躍したのは、韓統連や郭東儀だけではない。平壌側は、韓日国交正常化で韓日間往来と交流が急速に増加するのを利用する工作のため日本を本格的な対南工作基地にした。
日本を通じて韓国に潜入した工作員の中には韓国当局に検挙され、日本社会でいわゆる「在日韓国人政治犯」や「良心囚」に対する者が少なくない。徐勝兄弟や康宗憲などがよく知られている。彼らは、裁判過程で自分のスパイ活動を否認したが、釈放され帰日してからは、彼らが韓国当局に逮捕されたときの「犯罪・罪」以上の活動をし、反国家団体や利敵団体である朝鮮労働党日本支部と公然と連携、さらに韓民統(韓統連)や汎民連の核心的役割を果たした。彼らは、韓国内で金日成を追従する勢力と平壌を連結させる役割を果たした。彼らは、平壌側が韓国内に構築した地下党(非合法革命勢力)を、日本社会に「民主化運動勢力」として支援させる戦略的役割を果たした。同時に米・日などのリベラル左派が金大中などを支援、朴正煕政府を攻撃する政治戦争で極めて有用な存在だった。
多数の韓国人は、東西冷戦中、共産側との総力戦に韓民統や金大中などの言説、扇動に惑わされず、自由民主体制を護った。興味深いのは、平壌側の道具として使われることに懐疑を感じた郭東儀兄弟も一時は転向を悩んだという。
いずれにせよ、朴正煕大統領の維新体制はその歴史的成功にもかかわらず、体制の停滞と硬直の中、摩擦と抵抗が増していく。結果的に朴正煕体制は崩壊するが、南北間の総力戦でなぜ、金日成体制より大韓民国がより混乱と政変が起きたのか。これは自由民主体制の発展過程で抑圧的・権威的統治に対する反発、抵抗などの単純な次元ではなく、45年以来の韓半島の文明史的闘争の次元で見なければならない。
第2次世界大戦の勝戦国の米・ソのヤルタ密約によって分断された韓半島は、共産側の奇襲侵攻・「6・25戦争」で戦場となった。米国の迅速な介入で共産側の赤化企図は阻止されたが、世界大戦への拡大を望まなかった米国が共産側と停戦協定に調印した。だが、「熱戦」が「冷戦」に変わっただけ、冷戦は「総力戦」として、韓半島史上最も長い戦争として続く。 (つづく) |