平壌のため活動した日本人たちは韓半島の対決を激化させ、北韓住民の奴隷化を延長させた主犯だ。彼らのため、北韓住民は日本の植民地時代よりも悲惨な共産全体主義体制のもとで、植民地機関よりはるかに長い歳月を奴隷状態を強いられた。
平壌の指令による朝総連の主張と宣伝は、核心的目標に集中、巧妙に包装され展開された。平壌側の目標は、在韓米軍撤退、国家保安法撤廃、中央情報部の解体というスローガンに圧縮された。例えば、在韓米軍撤収の主張は、日本の反戦運動や基地問題と連携して展開された。国家保安法撤廃は、いわゆる「民主化」や人権運動そして包装した。
中央情報部の解体は、情報機関を、国民を監視する陰険な機構、反民主的な人権蹂躙・暴圧機構として悪魔化した。金大中拉致事件は、中央情報部を日本の主権を侵害した乱暴な暴圧機構と宣伝するのに最大限利用された。
社会党を始め、親北勢力はもちろん、いわゆる進歩的知識人たちと言論までが、平壌側のプロパガンダによって「北東アジア非核地帯化」だの、反原爆活動だのと、平和活動を展開したが、結果は金日成王朝の核武装を助けただけだ。この日朝友好努力は、朝総連の犯罪を庇護したに過ぎない。
在韓米軍撤退要求は、言うまでもなく、韓米同盟の実質的な解体を意味するものだった。貧弱な国防力を持つ韓国としては在韓米軍の存在は死活の問題だった。国家保安法は、韓国の自由民主憲法秩序を守る唯一の法的装置だった。これを廃止すれば、思想的に共産化を阻止する法的方法がない。韓国政府内で、共産全体主義、つまり朝鮮労働党と戦う司令塔、国家保安法を執行し自由民主秩序を守る主体が中央情報部だった。そして唯一の組織だった。
日本メディアや知識人なども平壌側と連帯して活動する日本人たちを支持した。彼らは朴正煕体制を非難、攻撃した。民主主義のためという彼らの気持ちや動機は単純だったかもしれないが、自分たちが共産全体主義に奉仕し、利用されていることを全く意識せず、韓国の自由民主体制を破壊する活動に「やりがい」を感じていた。
日本も同じだ。事実、絶えず世論の影響を受けて選挙を通じて代議民主政治体制を運営する自由民主国家は、選挙のない共産全体主義独裁体制との戦いで非常に脆弱だった。革命や国家転覆の意図などがない単純なメディアの報道でも、場合によって世論と選挙にどれほど大きな影響を及ぼすかはあまりにもよく知られている。
金日成が日本内に建設したチュチェ思想国際研究所、金日成主義研究会、数多くのいわゆる日朝友好団体がすべて韓国を赤化するための朝鮮労働党の戦略に立脚して活動した。朝鮮労働党の指導のもとに活動したということは、朴正熙体制の打倒と大韓民国の赤化を目的とする敵対行動なのだ。
平壌側が国際的な統一戦線組織の本部、連絡拠点を日本に置いたのは、反韓活動が日本当局の牽制を受けるどころか、事実上、政治的庇護を受けたためだ。朝鮮労働党日本支部は当然、破壊活動防止法の監視対象だったのに、平壌側が日本官僚社会に絶対的な影響力を行使する自民党政権を包摂したため、実政法上の安保危害団体である労働党在日党は、何の牽制も受けなかった。
日本社会には金日成と連邦制を模索した金大中を熱烈に支持する強力な勢力が存在した。つまり日本は東西冷戦時の世界で最も強力な反韓国基地だったのだ。金日成主義者たちは、平壌当局から厚い待遇を受けた。
(つづく) |