金日成の後継者となった金正日は、朝鮮労働党の対南事業(革命工作)も指導することになった。金正日が外国人の組織的拉致まで躊躇なく指令できたのは、日本内に構築されている広範で強大なインフラがあったからだ。
日本当局はこのような事情を知らなかったのだろうか。日本当局は、朝鮮労働党の対南秘書が「在日党」の青年たちを平壌に呼び、直接教養し指導する状況なども詳細に把握するのができた。だが、日本当局は東西冷戦で同じ陣営の韓民国を破壊するこのような共産側の工作を牽制、制止せず、刑事事件として対しなかった。スパイ防止法がないため仕方がないという声もあるが、言い訳だ。法より強力で有効な官僚制が機能してきた日本、破壊活動防止法を持っていた日本が、その気になれば対応できたはずだ。
平壌側は韓日国交正常化で両国間の交流と往来が爆発的に増える状況を見逃さず、韓国内に地下組織を作るのに最大限活用した。平壌側は、工作員たちを海上、あるいは休戦線を越えて潜入させた危険な方式から、合法的往来が容易になった日本を経由して工作員を韓国に潜入させることになった。
韓国の防諜当局は、平壌が第3国を迂回して韓国に潜入させる工作員の4分の3ほどが日本を経由したと見た。当然、韓国も対応に出た。中央情報部などは労働党日本支部の無力化に出た。「在日党」のような強力な工作インフラのない韓国当局としては大変な戦いだったが、体制の運命をかけた戦いで平壤側の弱点はすぐ見つかった。
朝鮮労働党の最大の弱点は、まず嘘「架空の金日成革命歴史」そのものだった。また、平壌側の膨大な組織も弱点となった。精巧で膨大な組織は、多くの資金を必要とした。資金源を遮断することができれば、組織と活動は萎縮する。つまり「在日党」が誇る革命思想・組織・資金力それ自体が、彼らが守らねばならない弱点となった。東西冷戦の真の総力戦の対決だったが、この冷戦で大韓民国を助ける国はなかった。国連軍司令部の後部司令部はこの戦いで何の役割も果たせなかった。
すでに述べた通り、ニクソンとキッシンジャーの米国は、韓国の自主国防を牽制、核開発を阻止した。韓国の安保態勢を米国の戦略に徹底的に従うように強要するだけで、同盟の韓国が直面していた恐ろしい総力戦には無関心だった。日本は南北韓間の冷戦の総力戦、政治戦争で米国の路線に従った。日・米の大半のメディアや知識人たちは平壌の金日成神格化独裁を攻撃するより、韓国の「維新体制」を攻撃した。
日本国内の労働党支部の制圧は結局、平壌の極端な唯一、独裁体制と朝鮮労働党自体を制圧せねば不可能なことだった。7・4共同声明で柔和局面だった南北の対決は、金日成が南韓内の統一戦線のパートナーとして最も期待してきた金大中が東京で拉致されてから20日後の1973年8月28日、平壌側が7・4共同声明の破棄を通告、対決局面に戻った。
朴正煕大統領は南北間の体制対決で平壌側を圧倒し特に、自主国防のため、経済の軸を重化学工業に転換した。朴正煕大統領の経済開発戦略に呼応してきた経済人たちは、この国家的・時代的要求に応え全力を尽くした。
しかし、物理的「国土完整」(韓半島赤化)にばかり執着してきた平壌側は、韓国の国力を効果的に動員している「維新体制」の破壊、特に維新体制を陣頭指揮する朴正煕大統領の除去にすべての力量を集中した。
(つづく) |