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2022年07月20日 10:31
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新解釈・日本書紀 応神<第51回>
伴野 麓

(65)和珥氏として自立(つづき)

和珥氏の始祖は、孝昭の子で孝安の兄である天足彦国押人とされているが、実際は、その子の押彦だと見られている。またの名は、忍鹿彦、あるいは稚押彦、和邇日子押人などとも称される。押彦は大倭の和邇里に住んで、黒田廬戸朝(孝霊朝)に仕えたと和邇氏系図に記載されている。
押姫が和邇氏らの始祖とされ、「磯城系諸族がその共通の祖神としている天足彦国押人の娘」と認識することは、皇統譜の上で最初の日本根子である孝霊を生んだのが押姫であるから、孝霊が磯城系の忍王だと認めることになる。
古事記が天足彦国押人を天押帯日子と呼んで、「春日臣、大宅臣、粟田臣、小野臣、柿本臣、壱比葦臣、大坂臣、阿那臣、多紀臣、羽栗臣、知多臣、牟耶臣、都恕山臣、伊勢飯高君、壱師君、近淡海国造の祖」としているのに対して、日本書紀は天足彦(=「オシ」が入らない名前)に呼びかえ、後裔の諸族を和珥臣等で十把一からげにしているのも、忍王であることを覆い隠す事情があるのだろう。
開花(孝霊の孫)の息子である彦坐王は、和珥臣の遠祖姥津の妹の姥津姫の子だから外戚は和珥氏だ。第2子である崇神の場合は、母の伊香色謎は物部氏遠祖の大綜麻杵の娘だから外戚は物部氏となる。もう一人の息子・彦湯産隅の場合は外戚氏族が不詳だ。それは、母である竹野姫の系譜伝承が「ある意図」のもとに抹消されたからだと言われている。それは、彦坐王に象徴される越・近江路の勢力が丹波路を平定したという歴史認識を定立させるためだ。日本書紀は、彦坐王=和珥臣の主張を正伝にしたのだ。
奈良県天理市和爾町に鎮座する和爾坐赤坂比古神社の祭神は、阿田賀田須と市杵島比売ということになっているが、実際は和珥氏の祖神・赤坂彦を祀ったもので、その実体は押彦とされている。阿田賀田須は押彦のまたの名の一つであったかもしれない。
天足彦国押人の母である世襲足姫の祖である天香語山(別名を高倉下)はニギハヤヒ=ホアカリの子で、尾張氏の祖神だ。物部氏や海部氏と同族でもある。夢の神託により、神武天皇に霊剣・布都御魂をもたらした人物でもある。その4世孫が世襲津足姫、またの名が日置姫である。
また、和珥氏の祖とされる難波根子建振熊(武振熊)宿禰は、ホアカリの18世孫で、丹波国造であったという。『海部氏勘注系図』によれば、息長足姫(神功)が新羅国に遠征した際、丹波・但馬・若狭の海人300人を率い、水主となって奉仕し、凱旋して勲功により若狭木津高向宮で海部直の姓を賜わり、楯桙(宮廷儀礼に用いられた儀仗)も賜わって国造として奉仕したという。応神の世に、海部直は、丹波直、但馬直にもなり、死後、熊野郡川上郷安田に葬られたとされている。
古事記では新羅遠征の将軍の名を難波根子建振熊(丸邇臣の祖)としているが、『海部氏勘注系図』では、15世の孫の丹波大矢田彦を、難波根子建熊宿禰と注記している。日本書紀では神功摂政元年3月、武振熊に命じて忍熊王を討伐させている。武振熊は和珥臣の先祖とされている。

2022-07-21 6面
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