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最終更新日: 2022-08-08 09:56:54
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2022年06月28日 12:03
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大韓民国建国史280 朴正煕大統領に自主国防の決断を強いた米中接近

パリ平和交渉はベトナム戦・インドシナ半島から米国が手を抜くための手続きだった。ニクソンは1969年1月、大統領に就任しベトナム戦から米軍撤退を決定。平壌側が休戦状態を破り、韓国をゲリラ戦場にしている状況でも、在韓米軍撤収を決定した。
ニクソンの眼中には同盟国・韓国の安保はなかった。彼はキッシンジャーとともに、文化革命の混乱やソ連との理念及び国境紛争で危機的状況だった中共を米国側に引き寄せ、ソ連を牽制すれば、西欧(NATO)に加わるソ連の軍事的圧力を大幅に軽減できると思った。ニクソンのこのような戦略構想は、中共への予防核戦争まで考慮していたソ連に対して極度の恐怖を感じていた毛沢東を動かすことができた。
ニクソンは、歴史の流れを変える自分(米国)の世界戦略は、アジアの群小同盟国と協議する性格のものでないと考えた。ニクソンは、アジア諸国は自国の安保を自ら負わねばならないと宣言(グアムドクトリン、69年7月15日)、韓・日などアジア同盟国との葛藤を招いた。それでも駐韓米7師団の撤収を強行した。
米中接触の口火を切ったのは日本だった。71年4月、名古屋で開催された第31回世界卓球選手権大会に中共チームを招待したのが、米・中のピンポン外交、つまり米中関係の和解のきっかけとなった。米代表団15人と記者4人が4月10日から14日まで中共を訪れ、周恩来に会った。
ニクソンとキッシンジャーは、米国が東アジアの運命を中共と共に設計できると考えた。秘密解除された資料によると、キッシンジャーは中共と協力するため、中共側の関心事と利益を保障すると話した。米国は、中共に韓半島の状況を一緒に管理しようと提案した。
秘密文書によると、71年7月に人民大会堂で行われたキッシンジャーと周恩来間の対話、その年の10月の2次会話、この会話の結果として実現された72年2月のニクソンと毛沢東の米・中首脳会談など会談のたびに、韓半島問題が主な議題として扱われた。これらの会談で韓半島問題をめぐっての協商を積極的に提案したのは中国側だった。
米国側は、受動的に応じたものの、概ねこの会談を通じて、在韓米軍の撤収問題と撤退後、日本自衛隊の軍事力で韓半島の安保を担当させることはないこと、国連で南・北韓を同等に対することを約束した。
キッシンジャーと周恩来の2次会談(71年10月)では、周恩来は金日成から頼まれた8項の要求、つまり在韓米軍の完全撤収と韓国に対する米国の核兵器提供中断、北韓に対する米国の偵察活動の中断、韓・米・日合同軍事訓練の中断、日本軍事力の韓半島進出に反対、米国の南・北韓協商への介入中止、国連で南北韓同等待遇などがキッシンジャーに伝達された。
キッシンジャーと周恩来間で主に行われた71~72年の米・中秘密会談後、韓米関係と米中関係には根本的な変化が起きた。会談期間中、中国は平壌の金日成と緊密な連絡を取りながら会談の内容を伝えたが、米国側は当時、朴正煕大統領の韓国政府に事前協議どころか、事後通知もまともにしなかった。
米・中関係の変化を感知した朴正煕大統領が何度も韓米首脳会談を要請したが、米側は拒絶した。
ニクソンドクトリンと米・中和解で、韓国の安保への不安が高まるや、朴正煕大統領は極端な処方に踏み切った。  

(つづく)

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